黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

リアルとネットの狭間 3

今回の辞任劇で、

色んな事を考えた。

亀の甲より年の劫と言う言葉があるが、

今は、もう無い、言葉は変わり、

 

年の劫より、ネット検索、

私も、長年BARを続けて来て、

一般の方よりは確かに、

お酒に詳しいが、このネットの中には、

 

私よりさらに詳しい方が沢山いる。

と、同時にネットでは、

色んなお酒が、紹介されている。

と、なると逆に、

 

ネット見たんですがと、とんでもない物を、

当然のように、何々ありますか?

と、来る方が近年、激増して来た。

いやいや、そうなると、

 

図書館の本ぐらいの、

数のお酒を揃えなければ、

対応出来ない、

これは、リアルに置き去りの逆、

 

ネットに依存し、ネットの中に、

ある物は、お店にはあるだろうと、

ネットとリアルの線引きが、

出来なくなっている。

 

店の大きさから考えれば、

大量の品数が無理なのは、安易に解る事で、

どう考えても、物理的に無理であり、

まず、金銭的に無理である。

 

ネットに出ているウイスキーは、

確かに存在するだろうが、

その店にあるか無いか、

ネットに出ているカクテルも、

 

確かに存在するだろうが、

その店で作れるかどうか、

これは、主がリアルでは無く、

依存により主がネットになる。所謂、偏り、

 

リアルに偏るのでも無く、

ネットに偏るのでも無く、

どちらも理解し、中庸でなければ、

と、私は思っている。

 

又、ネットで検索し、

ウイスキーテイスティングを、

読んで来られる方も多くなったが、

それは、販売元や、その方の意見であり、

 

経験値による個人差があり、同じようにはならない、

いや、ならない事が面白いのだが、

しかも、BARで飲まれたなら、

開封日が違うと言う、決定的な問題がある。

 

ウイスキーは生き物である。

呼吸し、日々、変化する。

その息遣い、これはネットでは、

伝わらず、理解するのは、

 

不可能だろう、生きた昆虫を、

手に持って見るのでは無く、

ネットはあくまで、昆虫標本の類だと、

私は思っている。

 

虫取り網を持って、汗をかいて、

野原を駆け回る事が最も大事かと、

それが自然との会話である。

BARも同じだと思う、

 

同じBARと言う職種でも、

当たり前だが、店によって、

品揃えや、カクテルの作り方等、

全て違う、違うからこそ面白いのだが、

 

これをまだ、BARがチェーン店のように、

同じだと思っている方も多い、

では無く、BARはその店により、

その店の流れがある。客層の違い等から、

 

出る商品が違い、それが流れとなる。

その流れに添わない物を、

揃えても、在庫が増えるだけである。

故に、色んなBARによって違う流れを、

 

その流れに沿って、楽しむ事が大事だろう、

それが解らないと言うなら、

その店のお酒を全て熟知している。

カウンターの中の人に尋ねれば良い、

 

それが、お酒を通しての会話であるが、

この人と人の会話が、ネットの普及と共に、

近年、どんどん難しくなって来ている。

好きな事は、掘り下げて専門的になり、

 

嫌いな事や、興味のない事は、

全てシャットアウト、削除、

これがネットなら出来るだろうが、

リアルでは、当然無理なので、

 

日々の生活が、息苦しなり、

又、現実逃避として、ネットの世界へ、

ゲーム等も同じだと思う、

会話、それは言葉のキャッチボール、

 

一方的に話すのは、説法や講義、

講演、演説となり、会話とは言わない、

今回の事も、キャッチボールでは無く、

物陰に隠れ、覆面をして獲物を狙う人達の、

 

数多くの弓矢が放たれたが、

それに、何の意味があるのだろうか?

正しい事なのか?と、深く考えさせられた。

そして又、次の獲物を狙っているのだろう、

 

しかし、これからもリアルとネット狭間を、

対応していかなければいけない、

既に時代が変わったのだから、

いや、時代が変われば、

 

人間の心も変わるのだろうか、

会話も無くなるのだろうか、

やはり、決して中庸と言う言葉を、

忘れてはいけないと思う、

 

ネットで先行く人が偉いのか、

リアルに残された人が駄目なのか、

深沢七郎氏の「楢山節考」を、

思い出す。今日この頃である。

 

楢山節考 (新潮文庫)

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