今回の辞任劇で、
色んな事を考えた。
亀の甲より年の劫と言う言葉があるが、
今は、もう無い、言葉は変わり、
年の劫より、ネット検索、
私も、長年BARを続けて来て、
一般の方よりは確かに、
お酒に詳しいが、このネットの中には、
私よりさらに詳しい方が沢山いる。
と、同時にネットでは、
色んなお酒が、紹介されている。
と、なると逆に、
ネット見たんですがと、とんでもない物を、
当然のように、何々ありますか?
と、来る方が近年、激増して来た。
いやいや、そうなると、
図書館の本ぐらいの、
数のお酒を揃えなければ、
対応出来ない、
これは、リアルに置き去りの逆、
ネットに依存し、ネットの中に、
ある物は、お店にはあるだろうと、
ネットとリアルの線引きが、
出来なくなっている。
店の大きさから考えれば、
大量の品数が無理なのは、安易に解る事で、
どう考えても、物理的に無理であり、
まず、金銭的に無理である。
ネットに出ているウイスキーは、
確かに存在するだろうが、
その店にあるか無いか、
ネットに出ているカクテルも、
確かに存在するだろうが、
その店で作れるかどうか、
これは、主がリアルでは無く、
依存により主がネットになる。所謂、偏り、
リアルに偏るのでも無く、
ネットに偏るのでも無く、
どちらも理解し、中庸でなければ、
と、私は思っている。
又、ネットで検索し、
読んで来られる方も多くなったが、
それは、販売元や、その方の意見であり、
経験値による個人差があり、同じようにはならない、
いや、ならない事が面白いのだが、
しかも、BARで飲まれたなら、
開封日が違うと言う、決定的な問題がある。
ウイスキーは生き物である。
呼吸し、日々、変化する。
その息遣い、これはネットでは、
伝わらず、理解するのは、
不可能だろう、生きた昆虫を、
手に持って見るのでは無く、
ネットはあくまで、昆虫標本の類だと、
私は思っている。
虫取り網を持って、汗をかいて、
野原を駆け回る事が最も大事かと、
それが自然との会話である。
BARも同じだと思う、
同じBARと言う職種でも、
当たり前だが、店によって、
品揃えや、カクテルの作り方等、
全て違う、違うからこそ面白いのだが、
これをまだ、BARがチェーン店のように、
同じだと思っている方も多い、
では無く、BARはその店により、
その店の流れがある。客層の違い等から、
出る商品が違い、それが流れとなる。
その流れに添わない物を、
揃えても、在庫が増えるだけである。
故に、色んなBARによって違う流れを、
その流れに沿って、楽しむ事が大事だろう、
それが解らないと言うなら、
その店のお酒を全て熟知している。
カウンターの中の人に尋ねれば良い、
それが、お酒を通しての会話であるが、
この人と人の会話が、ネットの普及と共に、
近年、どんどん難しくなって来ている。
好きな事は、掘り下げて専門的になり、
嫌いな事や、興味のない事は、
全てシャットアウト、削除、
これがネットなら出来るだろうが、
リアルでは、当然無理なので、
日々の生活が、息苦しなり、
又、現実逃避として、ネットの世界へ、
ゲーム等も同じだと思う、
会話、それは言葉のキャッチボール、
一方的に話すのは、説法や講義、
講演、演説となり、会話とは言わない、
今回の事も、キャッチボールでは無く、
物陰に隠れ、覆面をして獲物を狙う人達の、
数多くの弓矢が放たれたが、
それに、何の意味があるのだろうか?
正しい事なのか?と、深く考えさせられた。
そして又、次の獲物を狙っているのだろう、
しかし、これからもリアルとネット狭間を、
対応していかなければいけない、
既に時代が変わったのだから、
いや、時代が変われば、
人間の心も変わるのだろうか、
会話も無くなるのだろうか、
やはり、決して中庸と言う言葉を、
忘れてはいけないと思う、
ネットで先行く人が偉いのか、
リアルに残された人が駄目なのか、
思い出す。今日この頃である。