年配の方が、このネット社会から、
ズレていると言う事を、以前書いたが、
いや、如何にも、勝手に時代に取り残された。
悲劇のようにも取れるが、
それは違うだろう、要はその人の、
好奇心、興味と、やる気の問題だと思う、
20数年前、実家の近くを、
車で走っていたら。トボトボ歩く、
父と出会った。どこに行くのか?
と、小学校でパソコン教室があると、
そこにパソコンを習いに行くと言う、
そうなのか、気を付けてと、
別れたが、よく考えると、
その時、父は80歳を越えていた。
それから、暫くしてパソコンを買ったが、
まあ、案の定、悪戦苦闘していたが、
数か月後には、何とか使えるようになっていた。
そのパソコンで、ラジオに、
メールを入れ、リクエストしていたが、
アナウンサーの男性が、
「なんと、この方80歳を越えているのに、
パソコンから、リクエストされてます」と、
かなり驚いていた。その頃なら、まあ、当然、
そうなるだろう、私がパソコンを触り出したのも、
父の影響が強い、私は、30歳後半、
父とは倍以上離れていた。
しかし、どんどん使いこなす父、
が、セキュリティーも甘く、
何度か、ウイルスが入ったようで、
夜遅くに、ブラックアウトを、
起こしたような、電話があったが、
当時、私も知識が無く、解らないとだけ告げて、
電話を切ったが、今、考えれば、もう少し言い方も、
あっただろうし、もう少し親身になってあげても、
良かったのに、と、今更後悔する。
それから、どうも、図書館で、
パソコンの本を借りて来て、
それを、頼りに、数日掛けて、
その都度、自分で復旧したようだ。
まあ、子供の時から、父のエキセントリックは、
多々見て来たので、驚かなかったが、
昭和40年代、一時期、繭になる蚕が、
お菓子屋さん等で売られていた。
今から思えば、変な話だが、
それを、買って来たのだが、
一匹だけ黒くなる病気になった。すると、
その背中を、カッターで開いて、薬を塗って、
針で縫合して、治した男なのだから、
まあ、私も少し長く生きて来たが、
虫の病気を治した人は、未だに聞いた事が無い、
父親とはそういうものだと、
長らく勘違いして生きて来た。
仕事も今では考えられないが、電気屋だった父は、
大阪は、電気用品の街、日本橋で、まず、
図面を手に入れる、その図面にある部品を、
買い集め、バルサ材や、木材を加工し、
一から、TV、ラジオ、ステレオを組み立てる。
まだ、当時はメーカーの電化製品は高く、
庶民が買えるような物ではなかった。
かと言って、作ると言う発想は、
今では考えられないだろう、
中でも力作は、ステレオだったようで、
昭和30年代当時、15万で、病院の先生が、
買ってくれたようだ。現在の紙幣価値では、
150万~200万ぐらいだろう、
そのスピーカーに張るネットに、
四苦八苦したと、結果、
四角い板に、パンストを貼り、
実験を重ねた、塗料を塗り、固めて、
作ったらしいが、パンストで作ったステレオと思うと、
その話がおかしくて仕方なかった。
それに比べれば、なのだが、
まさか、パソコンのウイルスまで、
自力で取り除くとは、その後、
88歳頃、色んなサイトに登録して、
毎日、誰かとメールのやり取りをしていた。
お悩み相談みたいな事をしていたようだ。
90歳を超え、亡くなる。少し前まで、
パソコンの前に、座っていた。
そういう父を見て来たので、
高齢者だから、どうのと言うのは、
故に私には、ピンと来ない、
実際、私の父は、毎日、使っていた。
やはり、好奇心は不可能を可能にするのだろう、
父の事を書いたのは、明日はコロナで、
全く会えなくなった母の誕生日、
そろそろ会いに行かなければ、
と、思うばかりである。
※お知らせ
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臨時休業とさせて頂きます。