様々な個人的な理由を抱え、
阪神沿線を歩いているのだが、
つ、疲れた・・・
しかし、次の駅は、
父との思い出の駅、
頑張れ!
駅前に近づいて来たが、
お世辞にも賑やかな界隈とは言えない、
閑散と、と、思った瞬間、
な、何だ!あれは・・・
人、人、人・・・
近くに行くと、
どうも、店の行列のようだ。
2,30人は並んでいる。
行列が出来ると言えば、
と、看板を見ると、
やっぱり・・・
ラーメン屋、
庶民は解り易いものには群がる。
しかし、商売人で、大阪人の私には、
並んで物を食べる事がどうしても理解出来ない、
並んでいる間に、
食欲が失せる。
しかし、この地でこれだけの人を集めると言う事には、
敬意を表するしかない、
が、改めて自分がいかに難しい商売を、
難しい場所で、
挑戦しているかと言う事にも解った。
ウイスキー、万人が飲めるものでも無く、
理解出来る人も少ない、
と、その行列を横目に、
昭和を感じる店構えの、
近くのお好み焼き屋さんに、
中に入ると、誰も居なかったことに感謝する。
時間を気にせず食べる事が出来る。
お母さんと思われる高齢(失礼)の女性が、
花を花瓶に入れ、
外に飾っていた。
心が和む、
店とは味、雰囲気、知識、キャリア、
書き出したらキリが無いが、
全てを含んでの値段なのだが、
解らない人は灰になっても解らないだろう、
あれは幾らだ、これは幾らだ、
恥ずかしく無いのだろうか、
そこで、ホルモンうどんを、
空腹が限界に達していたのか、
いや元々なのだろう、
この何も変哲も無い味が実は、
美味い!
ここは、撮影の許可を頂いていなかったので、
店名等は伏せておきます。
で、全快、回復!
目指せ!
緩やかな坂を登って、
着いた所は・・・
これは私からのお願いですが、
出来れば、もし良ければ、
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この後は、ゆっくり読んで下さい!
幼き日の父との思い出の、
「武庫川駅」
その名の通り「武庫川」のたもとに駅がある。
私が幼き日に記憶していた川とは違い、
水が、水底が見える。
あの日父は川の中ごろまで入り、
必死で何かを探していた。
その頃のこの川は、
黒く、臭く、自ら入ろうとは思わない、
暫くすると、父が大きなブリキの缶を見つけた。
どうもその中が、カニの巣になっていたようだ。
嬉しそうに、私に向かって、
「カニの巣や、カニの巣や!」と、
満面の笑顔で、叫んで、
何度も、何度も何度もよろけながら、修行僧のように、
そのブリキの缶をまるで宝物のように大事に、
大事に、大事に抱えながら、
私に向かった歩いて来た。
どうしても私に見せたかったのだろうが、
中からカニとヘドロのような物がドロドロと流れ出していた。
私は思わず逃げた・・・
しかし、私も父になり、
娘達を連れ、大和川に行った時、
大きな亀を捕まえた。
それを娘達に見せたくて、
「捕ったぞ!」と、叫んで娘達の元に走ったら、
娘達は蜘蛛の子を散らすように、
右と左に走り出した。
その時、初めて父の思いが解った。
父や母の思いは子には伝わらない・・・
子が母や父になった時、
初めて解るものなのだ。
娘が子を産んだ時、
私が貰って来た安産祈願のお守りを首に付け、
分娩室へ、
そして激痛を乗り越えた時、
初めて、
「お母さんの凄さが解った」
と・・・
何事も何事も、ましてや何事も、
時間は掛かるものだと言う事だ。
その川原のベンチで少し、
休憩をしていた時、
心地よき、一陣の風が疲れた体を緩やかにさすった・・・
その瞬間、40年前の父との記憶と共に、
頭の中、後頭部の方で曲が、
曲が流れた・・・
勿論、そう・・・
「500マイル」
何時の日か、
いや何時の日か、
是非とも孫を連れて来よう・・・
父との思い出の、
この思い出の、
「武庫川」に・・・
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