毎回、NHKの朝ドラの事は、
このブログに書いているが、
今回は、かなり思い入れが強い、
私の亡き父の時代と場所が、
交差する。
今回の舞台は大阪は、
道頓堀で、今は京都編になっているが、
主人公が道頓堀に現れるのが、
大正14年となっていたと思うが、
私の父が生まれたのは、
大正11年なので、
時代はリンクしている。
と、その道頓堀を挟んだ。
対岸のミナミの千年町で、
生まれたようなので、
場所もリンクしている。
父は80歳からパソコンを習い、
ある程度、使いこなしていたが、
文章を打つのは、
長年ワープロを使っていた。
そのワープロに、自分史を書いて、
残していたが、私も記憶力には、
自信があるが、父の比では無い事が、
その文章を読めば、良く解る。
凄まじい記憶力である。
幼少の頃から、克明に何があったのか、
誰と出会い、誰と何をしたか、
人の名前も、全て覚えている。
祖父は、大和郡山の出身で、
私の先祖はその大和郡山藩の、
両替商、今で言う銀行のようなもので、
かなり長い間仕えていたようだ。
最後の藩主は、郡山藩柳沢家七代で、
六代藩主である 柳沢保申(やすのぶ)
幕末の動乱では、色々と活躍している。
が、48歳の若さで亡くなっている。
その後、越後黒川藩より、
養子として柳沢家に入ったのが、
柳沢保恵(やすとし)
将棋の名人坂田三吉の後援者であり、
マッサンこと、竹鶴正孝のニッカウヰスキーの、
出資者の一人である。
越後黒川藩の柳沢光昭は郡山出身で、
その次男である。
保恵は柳沢家に優秀な男子をと、
言う事で本家の家督を継ぐ、
そして父と祖父と祖母は、
その大和郡山に戻るのだが、
経緯は不明、そして暫くして、
大阪ミナミに舞い戻る。
そして、おちょやんと同じような話が、
父にも舞い込んで来る。
それは、又次の機会に・・・
つづく・・・