オミクロン、オミクロンだったのが、
いや、揺れて無いので、
実感が無いのだが、
これ、1960年のチリ地震と、
同じような事なのか、
それが、22時間後に日本に到達、
大船渡市や南三陸町、
3,11と同じような場所が被害に、
会っているのだが、今回は、
トンガの火山の噴火のようだが、
で、今日は、1,17,
なんか、偉いタイミングである。
いや、あの時は、流石に焦った。
北新地のBARで働いて、
家に帰り、寝ようとしたら、
ドン!大阪市内では、
珍しく、激震地区指定だったので、
相当揺れるし、家の柱が曲がるし、
が、何故か、その二週間ほど前に、
災害に備えてのような本を、
本屋さんで、立ち読みしていたので、
扉が開かなくなる事を知っていて、
慌てて玄関に行くと、案の定開かない、
足で蹴って、何とか開いたが、
隣の、隣のおばさんが、
中から、叫んでいたので、
外から、ドアを引っ張ったら、
おばさんが飛び出て来た。
何を言ってるのか、全く解らない、
完全なパニック状態、
が、それを見て、こちらが冷静になれた。
まあ、次の日から、地獄が始まった。
これ、夜の仕事の宿命、
昼間、自衛隊のヘリコプターが、
家の真上を、しかも低空で、何度も何度も、
行き来する。轟音で寝れない・・・
おまけに、その振動で、
窓が、ガタガタと外れそうになる。
マンションの外壁が崩れ、
内壁が、膨らんで来て、
二日後ぐらいに、ボコって破れて、
青空が見えるようになった。
下の子が、まだお腹の中に居て、
上の子が、3歳、そのマンションが、
危険だと言う事で、近くの住宅に、
引っ越してくれと言う事になったが、
まさかの5階で、エレベーター無しの、
お風呂無し、取りあえず避難だが、
これが、一番参った。
結局、落ち着くまで、何年か居たが、
まあ、大変だったが、私達より、
大変な人が沢山居たし、
何より亡くなられた方の事を考えると、
そうも、言ってられない、
まあ、この震災を機に、
自分で、店をやる事となったので、
私的には、良い転機だったのかも、
知れない・・・