行く春や鳥啼き魚の目は泪・・・
この句が瞬時に頭に浮かんだ。
大阪を象徴するような名店、
づぼらや閉店・・・
これには、流石に驚いて、
声が出た・・・
1920年創業、
丁度100年目に当たる。
私が幼少の頃は、
新世界は、インバウンド等無く、
それでも、凄い賑わいだった。
私の父も、若き日は、
新世界で良く遊んだようで、
やたらと色んなお店を知っていた。
特に、ゲテモノ屋に、
良く付き合わされた。
そのお店がどこだったのかが、
思い出せないが、通天閣に近かった事は、
確かだ。イナゴやイモリ、
得体の知れない物が瓶に入っていた。
子供には恐怖体験の何物でも無い、
と、言うか、父も浪速の商人、
安い店を選んでいたんだろう、
解る人は解るだろうが、
大阪では、昔、うな丼をマムシと言う、
これは、まぶす(混ぜる)から来ているようだが、
マムシとのぼりがあり、
父に尋ねると、あれは毒蛇や!と・・・
これは、中学生になるまでに、
嘘だと解ったが、
ずぼらやのフグを見ていたら、
父が、ここはお金持ちの行く店や!と・・・
これは、大人になると、
いやいや、結構庶民的なお店だと、
解った。ことごとく、
子供の時は、騙されていた。
もっと大人になると、
父は、フグ、うな丼が、
あまり好きでは無く、
自分本位で、自分の食べたい物に、
私を付き合わせていたようだが、
その点は、私も同じなので、
何も言えない、
しかし、づぼらやとは、
良く考えたら、凄い名前だ。
これも、大阪弁だが、私的解釈だと、
怠け者と、面倒くさがりの、
間のような感じだろうか、
あいつは、ずぼらやからな、
と、昔は良く聞いた覚えがある。
適当にすると言う意味もある。
ずぼらするな!と、怒鳴られた記憶がある。
こういうお店が灯りを消すと、
幼少の思いでも、
消えて行くようで、
言葉にならない寂しさを感じる・・・