ベンリネスの蒸留所が、
洪水と、火災に見舞われたと言う、
記事を書いたが、書きながら、
思い出した。
以前も書いた事があるかもだが、
その火と水に襲われた。
大阪の蒸留所がある。
サントリーさんの、
大阪第一工場である。
火は、そう第二次大戦時の、
大阪大空襲、これは、数回に及ぶのだが、
アルコール製造工場なので、
アルコールは、燃料になる。
そして、その事は、
勿論、米軍は認知してしただろう、
徹底的に空襲されたようだ。
あまり、知られていないが、
大阪大空襲で、最も被害を受けたのは、
大阪は、港区である。
私の自宅から、近い、
その工場が、火の海になった事は、
今となっては、面影も無いし、
想像も出来ない、
そして、これが戦後復興中の工場である。
終戦は1945年、昭和20年なので、
その数年後だと思われる。
そして、蘇った工場に、
又もや、悲劇が、
確か、昭和24年頃を、
酒場元年と言って、
閉まっていた酒場に灯りが灯り出した。
その翌年、今度は台風に襲われる。
昭和25年の、ジェーン台風である。
この時の事は、父から何度も聞いたが、
みかんの木箱で、即席の筏を作り、
移動したと、この画像を観れば解るが、
あまりにも惨い・・・
しかし、またもや、復活を遂げる。
不屈の精神である。
そして、今、このコロナの中、
アルコール消毒液を、
大量に造られたのが、
この工場である。正に「やってみなはれ」
鳥居信治郎氏の言葉通りである。
古の過去から、先人達も、
立ち塞がる困難に、
立ち向かって来た。
今度は、私達の番である・・・