感動と、後味の悪さが、
入り混じった。北京五輪が、
終わりを告げた。この歳になっても、
多くの事を教わった事は確かだ。
二回目の演技での不可解な点数、
私なら、ボードをへし折って、
帰っているかも、
しかし、その悔しさをバネに、
三回目に挑んだと言う、
解らぬなら、解って貰おうと言う、
完璧な演技、何たるメンタルの強さ、
女子の方も凄かった。
最後の最後に、大技に挑戦、
着地こそ上手く行かなかったが、
既に、冒険家の粋に達している。
しかし、これは、まだ歴史の浅い、
競技だからでは無いだろうか、
歴史的な重圧が無い分、
開放的である。
柔道や、レスリングで、
時間まで、逃げ切ると言う、
作戦的な事が、多々あるが、
あれは、スポーツとしてであり、
武道としてでは、無いような気がする。
そう考えると、スノーボードや、
サーフィンの方が、自然と闘う、
武道のような気がする。
危険度も高く、恐怖との闘い、
あの高さで、頭から落ちたら、
無事では済まないだろう、
それなのに、無難を選ばず、
大技、新技に果敢に挑戦する姿勢に、
昔無くした。色んな事を、
思い出した。屈辱をバネに、
私も、20数年前、この下町で、
本格的なBARを開いたが、
そういう店を知らない人、合わない人達の、
総攻撃に苦戦した。全ては地元の方だが、
「こんな店、すぐに潰れるわ!」と、
何十人と、罵られたが、
逆に、それが力となり、
他の場所に変わろうとはしなかった。
が、今思えば、変われば楽だったかもだが、
しかし、確かに10年を過ぎたら、
直ぐに潰れると言う事は、
言われなくなった。
解らないなら、解って貰おうである。
新しい物は、バッシングの対象となる。
が、BARは明治に始まり、大正から昭和、
戦争を挟んで、昭和24年の酒場元年から、
復活し、決して新しいものではなかったと、
言うのが、私の認識だったが、
この町では、まだまだ新しい存在だった。
と、言う認識のズレがあった事は、
暫くして解ったのだが、
が、移転してからは、新しいお店だと思い、
明らかに嫌がらせ目的のような人が、
何人か来たが、初めは勢いがあるが、
暫くすると、目の中の黒目が、
グルグル動き、周りの酒を見出し、
大人しくなる。開店したばかりの店では、
考えられない、お酒の数の多さに、
押されているのが、
こちらとしては、手に取るように解る。
しかし、私の店のお酒の数で、
驚いていたのでは、井の中の蛙、
大海を知らな過ぎる。
関西圏だけでも、私の店のお酒の数を、
遥かに超えるお店が、どれだけある事か、
もう、そろそろ気付いて欲しい、
後は、BARには必ず焼酎があると、
思い込んでいる人達、
無いと、怒り出す人達、
そういう人達に解って貰えるには、
後、何年、私の挑戦は続くのだろうか、
が、弱音はいけない事が、
今回のオリンピックで嫌と言うほど、
若者達に見せつけられた。
最後に、今回色々とあった中で、
女子のフィギアの問題が、
最も、曇天だったように思う、
が、私は否定的でも、肯定的でもない、
焦点が違うと思うだけ、
そこまで、個人を批判するのは、
どうかと思う、いや、よく耐えたと思うし、
あの若さで、自分の考えだけで、
行動したと、私は思えないだけで、
本当に攻めるのは、彼女では無いと思う、
正義の剣と盾の向きが違うのでは?
例えば、自分が同じ年の頃、
学校の先生に、こうしなさいと言われ、
自分では納得のいかない事でも、
反論する勇気があっただろうか?
僅か15歳、中学2年か、3年か、
自分の意志の問題だと批判が多いが、
貴方は、その年齢の時、どうだったろうか?
私は、その年齢では、
銀河鉄道が、迎えに来るのではと思い、
夜中に、家の外を、何度か見に行っていた。
まあ、私は良いのだが、一結果に於ける事で、
判断するのは、欧米諸国の考え方であり、
日本人なら、経緯、プロセスを重視するべきでは、
茶道は、お茶を飲んで、美味いの話では無い、
剣を向ける先、盾で守る物を、
大きく間違っていると、今回は思うし、
制裁を与えるだけの大人ではいけないと、
手を差し伸べ、チャンスを与えるべきだと、
次は、全てをクリアした上で、
もう一度、氷上で舞って欲しいと、
誰も思わなくても、私は思う、
が、自分の敵は、あくまで自分です。ファイト!
※蔓延防止措置の延長で、
2月21日~3月6日まで、
臨時休業とさせて頂きます。
よろしくお願いします。