まあ、第一報で知った時は、
大阪弁なら、やりおったで、
ほんま、えげつないわ!
と、なった西村大臣の、
酒取引停止発言、完全におかしい、
会食で感染、しかし、どう考えても、
国家権力の大乱用の何者でもない、
この人、私の一つ上で、
関西方面は、兵庫の方であり、
同じ時代を過ごして来たのだろう、
が、まあ、それだけなのだが、
この方、灘高から東大、
まあ、絵に描いたような学歴、
その後の米国メリーランド大学院が、
楽しそうな気がするが、
良く解らない、
しかし、灘高は私の敬愛する。
故中島らもさんの出身校でもある。
まあ、幼稚な文の低レベルなこのブログだが、
文章を書くと言うのは、
完全に、中島らもさんの影響が大きい、
しかし、TVのコメンテーターも、
ネットのライターも、誰も言わないので、
私が言おう、
この人が通った灘高は、
誰が作ってくれたのか?
では、解説しよう、
灘高校は昭和3年に設置認可が下り、
その翌年に開校する。
出資者は嘉納治郎右衛門、
嘉納冶兵衛、そして山邑太左衛門、
灘で解った方も居るだろう、
そう、菊正宗、白鶴、櫻正宗、
灘の有名酒造業の面々である。
これを知ってたので、残念な気がしたのと、
故郷の重鎮とか大丈夫?って、
逆に心配になった。
しかも、白鶴の嘉納家は、
柔道の、嘉納治五郎の縁者であり、
世界的建築家、フランク・ロイド・ライト設計の、
ヨドコウ迎賓館は、元々は、
櫻正宗 八代目 山邑太左衛門の別邸である。
当時、一体どれだけの資産があったのか、
なので思った。なんか故郷に後ろ足で、
砂掛けてるような、
偉くなって、忘れたような、
まあ、ただの浮世離れだろうが・・・