黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

酒通信 スコットランドだより 29 ファミリーウイスキー 前編

編集に追われる日々だが、

その分、店は暇なので、

時間を持て余す事は無いが、

肩こりが異常である。

 

視力の衰えから来るのだろうが、

まあ、言い出したらキリが無いので、

ただただ、ひたすら歩こう、では!

今回は、ファミリーウイスキー

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これで解れば、相当なウイスキーマニアだが、

この目に刺さるような赤い扉は、商品名にも、

使われている。レッド・ドア、

代々の一族経営、その名は、

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ご存じ、グレンファークラス

創立は、1836年だが、

1791年には、既に絵画に描かれているので、

1836年とは、政府に酒税を払い出し公認された年、

1791年、この時、日本では、

1795年に、50歳になる。

わが心の師「伊能忠敬」が、

若き天文学者の弟子になる頃、

 

1865年にグラント家が、

蒸留所を購入、6世代に渡る。

家族経営が続けられている。

2007年からの、

 

「ファミリー・カスク」シリーズの、

リリースで、その事は、

より強調される事になる。

名はゲール語で「緑の草の生い茂る谷間」

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まあ、このウイスキー自体がメジャーなので、

私が書かなくとも、色んな方が書かれているので、

検索すれば、済む事なのだが、

まあ、そう言わずに、暫しお付き合いを、

 

では、今回もウェアハウスの中から、

当店の若き常連氏、ケイスケ君から、

送られて来る画像だが、多分、順番を、

私が間違えて、逆再生になっている。

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完全なるタンネージ式、天井が低く、

高く樽を積まない、

そして、床には砂利が敷き詰めてある。

まあ、当たり前だろうが、古い樽も多々ある。

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1960年と、これは私の生まれ年、

わざわざ、撮って来てくれた。

1963年、いや、まあ、どんな味わいなのか、

中のウイスキーは残っているのか?

 

そこなのだが、この蒸留所は、

ベンリネス山の吹き降ろしの風により、

天使の分け前、エンジェルスシェアは、

なんと、年間、僅か0.05%、

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多分、この画像は、その説明に使えと、

言う事だろう、ただ、見えている山が、

ベンリネス山かどうかは、確認してないので、

悪しからず、しかし、天使の分け前が、

 

0.05%とは凄い、普通、スペイサイドでは、

2~3%、台湾、インド等だとかなり高くなり、

少し前に紹介したイスラエル死海だと、

驚異の25%、年間に樽の中身が四分の一が消える。

 

このことからか、やはりウイスキー造りには、

気温の低い場所と言う定説があった。

諸説、色々とあるが、やはりニッカの竹鶴さんは、

北海道に拘りがあり、サントリーさんを離れたと、

 

書かれた記述も読んだ。

サントリーの鳥井さんは、

ジャパニーズウイスキーを造りたかったのに、

対して、ニッカの竹鶴さんは、

 

スコッチウイスキーを造りたかったのでは、

と、私は思っている。

しかし、その気温の低い場所と言う定説を、

あっさり覆したのが、台湾のカバランである。

 

それは、僅か数年での、数々の受賞歴が物語っている。

近年の日本国内での蒸留所の増殖に、

影響を与えた事は、間違えないだろう、

まあ、今日はこの辺りで、明日又!

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