昨日、記事に書いた。
「パンプキン爆弾」
なのだが、その中で、
私は、大正区に「高射砲基地」が、あったと、
書かれた記述が、
無かったと、書いたが、
あった、、、
おかん、疑ってごめん、、、
正確には、基地では無く、
「高射砲陣地」
しかも、灯台下暗し、
大正区のウィキペリアにその記述はあった。
現在の大正中央中学校の辺りらしい、
どこだろう?
そして、この事が解ったのは、
「高射砲基地」を調べていたら、
ある方の、ブログに辿り着いた。
とんま入道さんの、
「俺の人生真ん中辺り」
この方のブログに、
高射砲基地を調べた記事があった。
そこで、コメントを入れてみた。
すると、すぐに返事があった。
大正区にも、ありましたよ、
との事、しかも、Bー29を1機、
打ち落としている。
B−29を打ち落とした、、、
記憶が蘇った。
この時の事も、実際におかんの口から、
聞いている。
竹槍を持ち、高射砲陣地に、皆集まり、
B−29が、接近、
確か、この時に、パイロットの顔が見えたらしい、
そして、B−29に向け、
高射砲を打ちまくる。
次の瞬間、B−29は煙を上げ、
生野区の方角に、
落ちて行ったらしい、
その後、大歓声と共に、万歳三唱が、
いつまでも、いつまでも、
続いたそうだ。
これで、おかんの言った事は、
どちらも、事実だったのだ。
いや〜驚いた、、、、
これは、語り継がないといけないと、
本当に、そう思った。
しかし、疑問だ。
何故、そんなに低空を、
B−29は飛んでいたのだろう、
当時の日本軍の高射砲の性能では、
B−29の高度までは届かず、
役には立たなかったという、
記述が多い、B−29自体が、
低空を飛ばない限り、
打ち落とす事は、不可能なのだが、
何故、そんな危険を冒して、
低空を飛んだのだろうか?
それが謎だ、、、、
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