友人が尋ねて来た。
自分の父親の戦争の足跡を知りたいと、
話を聞いた。
検索をした。
私も詳しくは知らなかった。
しかし、驚くほど情報が溢れている。
私が知らなかった。
いや、私だけでは無いだろう、
第二次世界大戦、
こういう部隊があった。
「小豆島突撃隊」
友人が厚生労働省に、
軍歴証明書を取り寄せた。
階級は低いが、名を「明石」
多分、年齢的には当時19歳か20歳、
その「小豆島突撃隊」に
配備されていたのは
特殊潜航艇、「蛟龍」(こうりゅう)
所謂、小型の潜水艦、
五人乗りのようだ。
ウィキペディアではこう書かれている。
日本の「切り札」すなわち水中の特攻兵器
(但し、攻撃手段は体当たりではなく魚雷)
妙に矛盾した文章だ。
特攻兵器とあるのに、
基本は魚雷攻撃のようだ。
確かに魚雷の練習をしたと言う、
記述は読んだ。
その魚雷が無くなれば・・・
と、言う事なのか、
終戦間際にかなり生産されたのだが、
実戦に使われた記録がほぼ無い、
沖縄戦に三艘、
それもいまだ戦果は解らず、研究中のようだ。
が、逆に情報は多い、
生存者が多いからなのだろう、
それは何故か、
勿論、帰って来たからなのだ。
「回天」や「桜花」等は、
標的があるからこそが大前提で放たれるが、
しかし、一度放たれればそれは死を意味する。
が、この「蛟龍」出陣=死では無かった。
搭乗員達は勿論、覚悟しての出陣だと思う、
昭和20年8月13日、
次々と出陣していくと、
そしてそのまま終戦を迎え、
「蛟龍」は帰って来たのだ。
この時代、時勢の中勇気ある帰還だったと私は思う、
搭乗員達の心中を私ごときには計り知れない、
現にこういう形で終戦を迎え、
不穏な空気が流れ、
それを察知した上官から、
隊員一同に一本のウイスキーが与えられたと、
それを山の上で飲んだと、
歩けなくなるぐらい、
丁寧に書かれていた。
そしてその記憶力にも感嘆した。
そういう記述に何度も目を通した。
が、やはり「明石」と言う名は探せなかった・・・
もう少し調べてみようか、
そう思った夜だった。
終戦を迎え行き場の無い、
言葉で表現の出来ない思いを抱えた「蛟龍」隊員達に、
上官から渡されたと言うウイスキーの事を思い出し、
店が終わってから、
一人で飲んだ。
そのウイスキー
名を「サントリー 角」だったと言う、
いつもとは違った味がした事は、
言うまでも無い・・・