先月長々と書いた「堺事件」
それを調べている時、
何度も検索に掛かる事件があった。
明治の末20世紀の怪物と戦った文士が居た。
名を「幸徳秋水」
そう「大逆事件」の一つ、
「幸徳事件」と呼ばれる弾圧、
今では冤罪とされる大事件なのだが、
よく似た事件は沢山あるのだが、
少し前に本で読んだ。
国家転覆と言う名の宗教弾圧、
「大本事件」
そして「横浜事件」等、
この「幸徳事件」は、
明治天皇の暗殺を企てたとして、
12名が処刑されるのだが、
確かに「堺事件」と人数だけなら、
よく似ている。
その首謀者とされたのが、
「幸徳秋水」
しかしこの事件は思想が深く、
資料も膨大、
論文等も次々と出て来る。
これは私のような無学な人間には、
どうする事も出来ない、
と、思いブログに書く事を断念していたのだが、
思わぬ所で、
この「幸徳秋水」の名を目にすることに、
それが信じられないが、
先日から記事に書いている。
この「竹林寺」
そこで「大逆事件」とは別に、
この「幸徳秋水」を追いかけた。
次々と出てくる関係者、
それを一つ、一つ、
丁寧に・・・
何日過ぎたか、
もうどれだけ検索を掛けたか、
が、謎は一向に解らない、
その謎とは・・・
この「竹林寺」に
なんと「幸徳秋水」の墓が以前あったと言う記述を見つけたのだ。
信じがたいのだが、それが本当なら、
どういう経緯でそうなったのか、
そして本当にあっのか、
それが知りたかった。
しかし「幸徳秋水」の墓は、
高知は四万十の「正福寺」
2011年に100周年の記念事業が行われている。
そして「幸徳秋水」に関してのかなり詳しい、
年表も手に入れた。
詳細が細かく書かれているが、
1911年1月24日に刑死、
その年の2月7日には、
高知の「正福寺」に埋葬されている。
分骨されたような記述も無い、
その間数週間、
何があったのだろうか、
確かに「幸徳秋水」は大阪に縁はある。
その縁には中江兆民が居るのだが、
そうなると坂本龍馬が出てくる。
知識だけが膨張し、
肝心の事は何が何だか解らない、
完全に迷宮にはまった・・・
「幸徳秋水」と「竹林寺」
韓国、芝居、遊郭・・・
力尽きた・・・
が、いつの日かこの謎を解こう・・・
いや、誰か知りませんか・・・
住職を尋ねようか・・・
そして又も出て来た。
「与謝野晶子」
この事件を詠った句だ。
「産屋なる わが枕辺に 白く立つ 大逆囚の 十二の棺」
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