黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

三流バーテンダーへの道  2

大阪は北新地、
東京で言えば、銀座のような場所なのだが、
やはり、大阪のミナミとは違い、
上品なお店が多く、
しかも、やはり高い、


道一つ、筋一つで風格が変わる。
私が招かれたのは、
永楽通りと言う、国道2号線から一つ入った。
新地の入り口であり、出口のような所、
1Fの大きな店だった。
既にオープンして何年かが経っていた。


しかし、よく行ったものだ。
知り合いも無しで、
私のやる事は勿論、売り上げのアップなのだが、
若いバーテンダーの育成が急務だったが、
私自身、まだまだ知識も技術も無い、
いや、参った。
大変だった。


その店は、あるアパレルの大きな会社が所有していて、
業務委託で、ある会社に任せていたのだが、
そこの経営がイマイチだったので、
自分達で経営したいが、
バーテンダーが居ない、
それと安くで働いてくれる人を探していたらしいが、


流石に北新地、安いですよと、
言われたが、え、嘘?
そんなに貰えるの?
と、心で思ったが、
「後少しどうにかなりませんか?」


と、一か八かで言ってみたら、
すんなりと行けた。
これ、少し前に同じ事を経験していたので、
出来たのだが、
私は、もう一つ仕事を持っていた。
それで食べていこうか、
バーテンダーになると言うか、
お店を何かやろうか、


迷っていた時期だった。
そのもう一つの仕事で、
ある老舗の会社に面接を受けた時も、
高待遇だった。
何故なら、私はクライアントを数軒持っていたからだ。


基本給プラス歩合、
オールフレックス、
いつ来ても、帰ってもいい、
いや来なくていいから、
仕事を取って来いと言う事、


その金額を見た時も驚いた。
思わず、かなり大きな「えっ!」って声が出た。
すると、その会社の社長が、
「いや〜ごめん、ごめん、そうなや、子供さんも居てるからな」


と、言って、書類に給料を書き込みもう一度渡された。
金額がかなり増えていた。
その社長は、私が給料が低くて驚いたと思ったようだが、
逆だ・・・
それで逆に自信が付き、
それで逆にその会社が危なく見えて来た。
そんなに仕事が無いのかこの会社は・・・


確かにバブルは弾けて飛んでいた。
しかしよく考えるとクライアントがあるのだ。
自分でやってみようと、
友人から車を安くで買い、
やり始めていたのだが、
まだ、仕事と言う仕事が無かった。


その時にこのお話、
私には渡りに船だった。
睡眠時間を削れば、毎月、給料が入ってくる。
しかも、経費も使えた。



バブルが弾け飛んだ。
夜の北新地での挑戦が始まった・・・


           つづく・・・・

            もういいだろう・・・