麒麟が来るの九鬼水軍の記事を、
書いていて、お正月に、
気付いた事を、
思い出した。
まあ、そんなに凄い事でも無く、
まあ、興味のある方も居ないだろうが、
我が町大正区の元を造った。
木津勘助こと、中村勘助と言う人物、
かなり前に、詳しく書いた事がある。
義侠、所謂義賊なのだが、
それは、冷害の災害の際に、
私財を投げ売って、
民衆に与え、それでも、
足りなかったので、大阪城の、
備蓄米を分けて貰おうと、
懇願するが、聞き入れて貰えず、
黒田藩の蔵破りをし、
米を盗み、民衆に与えたのだが、
この策略が、なかなかに緻密で、
驚いたのだが、
それは、以前も書いたので、
そして、お正月に、
難波八坂神社に娘と孫達と、
行ったのだが、
そのすぐ近くに、
敷津松之宮があり、
少し寄ったのだが、
この神社の境内に、
木津勘助の像がある。
この辺りの地名にもなり、
その縁だろうと思っていたが、
その時、孫が金色のネズミの像を、
触っていて、ふと見ると、
そのネズミは、米俵に乗っていた。
ああ、そうか・・・
この神社は大黒天、
木津の大国さんとも、
呼ばれている。
その大黒天が乗っている物、
そう、米俵・・・