長々と色々と、
説明してきた「木津の勘助」
浪曲や講談、落語等で、
その存在を知る事は出来るが、
どれも、少しづつキャラクターが変わる。
落語では、私達の年代なら、
ラジオの神様「笑福亭鶴光」さんも演じている。
私は少し前に、天神祭りの「お迎え人形」に、
一際威光を放つ、人形の勘助さんを見た。
で、少し調べていると、
疑問や謎、と言う言葉を目にする。
しかし、これを私は謎には思わなかった。
まあ、またしても妄想なのだが、
しかし、それを書くためには、
一応、一通り説明しなくては、
知る事は簡単で、それを知った上でどうなのか?
それが大事なのだが、
我が町「大正区」の基礎を作り、
開発した男「木津の勘助」
飢饉の際に私財を投げ打って、
村人を守ろうとしたが、
それも底を付き、
幕府の備蓄米を開放しろと迫る。
正に弱気を助け、強気を挫く、
「任侠」の「任侠」としての姿である。
が、聞き入れられず。
「福岡黒田藩」の米蔵を手下を連れ、
ぶち破り、その米を、
民衆に与え、自分は自首する。
そして流罪、
これは、民衆が次々と嘆願に訪れたのと、
外様の大名の米で、幕府に痛手は無かった事による。
恩赦的な配慮だったようだが、
流された島がのちの「勘助島」
目と鼻の先、歩いて行ける所なのだが、
これ?流罪?
で、謎は飢饉が1641年、
その後、流罪になるのだが、
1660年に死罪・・・
そう20年近く経ってからの処刑、
一説には病死ともあるのだが・・・
知る事は簡単で、知った上でどうなのか?
さあ、妄想が始まるのだが、病死で処刑なのでは?
これ、多分、話が決まっていたのだと私は思う、
幕府とのやり取りなのだが、
勘助「あっしのやった事は大罪ですが、
ここで、首をはねるのは得策では無いかと」
幕府奉行「それは、どう言う事じゃ?」
勘助「あっしは今姫島の開発に手を付けたばかり、
まだまだ何年も掛かるでしょう、
して、あの姫島の開発、
あっし以外に出来る男はいません。
どうか、あっしにやらせてくれませんか
それが、終われば、この勘助逃げも隠れも、
致しません。
どうぞ、この首はねてくだせえ」
幕府奉行「う~ん」
まあ、こんな感じでは無いだろうか?
幕府としても、ここで勘助さんを処刑すれば、
又、何か暴動など起きても面倒だ。
いや、取り敢えず人材不足と、
町のゴタゴタも、勘助さんが居れば、
要するに、面倒くさい事を、
優秀な土木技師の勘助さんにさせようとしたのでは?
そして「黒田藩」はお金を貰っているし、
米を盗まれた「天王寺屋」も、
ここでゴネては民衆に睨まれ、看板にも傷が付く、
所謂、詰将棋なのだ。
勘助さんは、全てを先読みして行動に出てのだと、
私は思う、任侠であり、
優秀な土木技師であり、
軍師としても、優秀な人物だったのだろう、
そして、その時が来た。
勘助「長年の病で、この勘助もとうとう、
年貢の納め時です。開発も一区切り付きやした
で、罪は、罪、あっしの首をはねなければ、
示しが付きませんぜ」
と、1660年、長年の病で、
死期を悟った75歳の「木津の勘助」さんは、
約束通り自ら出頭したのでは無いだろうか?
いや、私は思う・・・
いや、そう思いたい、
この私の妄想が、もし真実ならば、
何と言う男なのだ「義侠 木津の勘助翁」
が、残念ながら、
妄想なのだ・・・
が、そう外れているとも、
私は思えないのだが・・・
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