幕末から、明治維新へ、
混乱の中、三田藩最後の当主、
13代隆義の元、
藩の財政の立て直しと、
困窮する、三田藩士救済の為、
白洲退蔵が動いた。
高杉晋作を示唆する言葉に、
動けば雷電の如く、
発すれば風雨の如し、
それが、三田藩にも居たのだ。
白洲退蔵、
神戸港が近代港として、
整備されると聞くと、
神戸初の輸入商社を設立、
名を志摩三商会と言う、
九鬼家の元の統治国、志摩国と、
三田藩の三を取ったのだろうか、
これが、大成功、正に雷電、行動が早い、
山の手で情報も少なかったはずだが、
が、違う、そう、川本幸民である。
理数系と文系の歯車が噛み合った。公民は友人である。
福沢諭吉を藩主、隆義に紹介している。
後に隆義は、洋学校の経営等で、諭吉より手紙で助言を受けている。
隆義は既に、外に目を開いていたのだ。
内ばかり見ていても、
何の進歩にもならない、
同じ話をグダグダ言うだけ、
なんの進歩の欠片も無い、既に幕末の人達が、
教えてくれているのだ。
外を見よと・・・何故、学ばないのだ・・・
実は、この志摩三商会も、諭吉の助言によるものだった。
その事により、
諭吉が慶應義塾大学を設立する際、
九鬼家の大きなバックアップがある。
恐るべし九鬼一族、
装甲船から、大学まで造るとは、
三田市民はもっと、
自慢するべきだ。
まだまだある。
藩の危機を救い、
富をもたらせた。
雷電、白洲退蔵、
九鬼義隆の命のより、
屋敷を提供し、
学校を設立、
そう、後の神戸女学院である。
そして、横浜正金銀行、
後の、東京三菱銀行の頭取となる。
のだが、その退蔵の息子に、
もう一人の風雲児、白洲文平がいる。
その文平が、神戸に貿易会社、
白洲商会を創業、
莫大なる、巨万の富を築くが、
惜しくも、昭和3年の昭和金融恐慌で、
倒産する。
のだが・・・
やっと、ここまでやって来た。
いやー、長かった・・・
その文平の息子、退蔵の孫が、
明石家さんまさんの、
憧れの人物、
吉田茂の懐刀と、言われ、
こう呼ばれている。
マッカーサーを叱った男と、
戦後の風雲児、
伊勢谷友介氏が、ドラマで演じた。
そう、白洲次郎である。
つづく・・・