海賊大名の異名を取る、
九鬼嘉隆は九鬼家八代目の当主であり、
伊勢は志摩国を支配していたが、
関ヶ原で西軍に加勢、自害するのだが、
それは、家督を残しすために、
九鬼家は東と西に分かれた為である。
が、その事により、皮肉にも家督争いが起こる。
その事を理由に、いや、便乗し、徳川家光が、
三田と綾部に移封させるのだが、
これで、海、水軍を失う事になる。
これは家光が、水軍の力を恐れ、
山に封印したのである。
確かに、鉄を貼り付け、大筒、大鉄砲を装備した。
装甲船を僅か二年で六隻造るのだから、そりぁ恐い・・・
以後240年、九鬼家は三田藩を統治することになるのだが、
動乱の幕末が訪れ、三田藩も奮起し、
洋式軍隊率いて、官軍方として参戦、
これもかなり早い藩政改革だ。
侍からの洋式軍隊、それを指示したのが、
最後の当主、13代九鬼隆義である。
しかし時代は、混乱、動乱、
そして幕末から明治維新へと、
変革の中、藩の財政が底をつく・・・
と、廃藩置県により、
三田藩士が困窮、
その時、ついに三田藩の、
ラスト・サムライが動いた。
名を白洲退蔵と言う、
行け!退蔵!
当店の場所で戦った。九鬼水軍、九鬼一族、
三田藩の危機を救う為に!
走れ!
つづく・・・