民衆の為に尽力した男が居る。
本名を「中村勘助」
「木津の勘助」と呼ばれた「侠客」なのだが、
豊臣家からの依頼で、
姫島に船碇泊所を作り、
大阪の陣の屍を片付け、弔い、
「任侠」に生きた男、
「任侠」とは?
仁義を重んじ、困ったり苦しんでいたりする人を、
見ると放っておけず、彼らを助けるために、
体を張る自己犠牲精神を指す。
そんな人が居るのか?
居るのだ。
「木津の勘助」
それは寛永16年(1639)
近畿一円が冷害に見舞われ、
大飢饉が訪れる。
その時大阪城の備蓄米の開放を願い出るが、
聞き入れられず、
私財を投げ売って村人に与えるも、
次第に限界が・・・
そして行動に出る。
手下を引き連れて、
なんとお米蔵を破り、
村人に与える。
何たる暴挙、
でも無いのだ。
確かに強盗なのだが、
計算された行動のようである。
「福岡黒田藩」の米、
それを当時の豪商「天王寺屋」が買い取り、
取引が終わり「天王寺屋」の物になった時を、
狙っている。
これ、私は思うのだが、
「福岡黒田藩」だったと言う事もあるのでは?
無差別では無く、
敢えてそこだったような、
と、掘り下げると長くなるが、
そしてこの「天王寺屋」と言う豪商、
NHK朝ドラ「朝が来た」のヒロインの姉、
「はつ」実名は「春」が嫁ぐ「山王寺屋」のモデルになった。
「眉山家」である。
先に進むが、
その後「勘助」は自首するのだが、
幕府とすれば、外様の米で、
自分の腹は痛まない、
そして「天王寺屋」としても、
どうも大した損害では無かったようだ。
故に流罪とされるのだが、
目と鼻の先の場所、
「姫島」
この「姫島」に少々惑わされた。
大阪は西淀川区に「姫島」と言う地名があり、
そこと混同してしまったのだが、
こういう事だったのか?
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