今から400年前、
大阪夏の陣が終わり、
「乱坊取り」略奪、強奪に奔った。
徳川の雑兵により、
町は地獄と化す、
又、戦で命を落とした。
兵達の屍が、
我が町の横を流れる「木津川」に流れ込んだ。
その時、一人の男が立ち上がる。
名を「中村勘助」
「木津の勘助」と呼ばれた男だ。
侍と言う記述もあり、
まあ、そうとも取れるが、
明らかに「侠客」で、
「侠客」と言うのが、大事なのだが、
で、この男が何をしたか?
屍、土座衛門の片づけ、
・・・・・
が、私は思う、
尊い行為だと、
では、誰がするのか、
誰もが嫌がる事を、
武士が戦い、結果町民を巻き込み、
地獄と化した町と、多くの屍、
それを片づけた男、
「中村勘助」
「片付け頭取」と言う役に付いたとあるが、
多分、この事だろう、
土木の才があり、
大阪城の土木工事にも携わったともあるが、
なかなか謎が多い、
いや、資料が少ないのだろう、
1586年に相模の足柄山で生まれ、
先祖は「新田義貞」だと言うが、
何故大阪に来たのかは不明、
話は飛ぶが、豊臣家からの依頼で、
姫島に船碇泊所を作る。
情報がいつものように、
ジグゾーパズルのピースのように、
バラけているので、
私なりのパズルを作成するしか無いのだが、
豊臣家から依頼を受ける程の人物に、
どうしてなれたのかも、
やはり資料が乏しい・・・
ここで私があくまで「侠客」であるとしたのは、
こういう事なのだが、
それは、歴史に詳しい聡明なあなたには、
愚問なのだが、
そして「中村勘助」は、
「任侠」に生きた男だ。
何故なら・・・
そして「姫島」とはどこか?
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