何度も危機的状況に会いながらも、
戦後まで生き残った。
「不沈艦」
キスカ島攻略部隊に編入、
「暁」と共にキスカ島近海を航行中、
5機のB-24あるいはPBYカタリナ飛行艇の爆撃を受ける。
この時、投下された爆弾のうち一発が、
右舷艦首外板を貫通、
喫水線付近の錨鎖庫で爆発、
前部主砲付近まで浸水、沈没の危機に、
それを三時間あまりの応急処置で浸水を止める事に成功、
この艦が幸運だったのでは無く、
搭乗員が優秀だったのでは、
が、悲劇は続く、隆雄沖の触雷、
輸送船「永冶丸」が触雷し、爆沈、
救助に向かう「響」
船首部で爆発、10名が戦死、
一番砲塔直後の左舷部を大破、
船首は前方に向け25度垂れ下がった。
これは、かなりのダメージを受けている。
これを後進で高雄まで戻ったと言う、
この事でレイテ沖海戦に参加する事はなかった。
「大和」の沖縄水上特攻作戦に加わる。
「大和」以下諸艦と共に移動中、
又も触雷、航行不能となり「呉」に帰還、
しかしこの作戦は壊滅的な被害を出す。
もし「響」も参戦していたら・・・
しかし生き残った艦には戦後使命がある。
復員輸送艦に指定される。
しかしこの時も大阪湾で触雷、
が、この時の被害は軽妙だったと言う、
他にも危機的状況はあったが、
それを乗り越えた「響」
その「不死鳥」と呼ばれた「不沈艦」が、
まさかサントリー「響」だったとは、
あくまで私がそう思うだけなのだが、
何故そう思ったか、決定打を見つけたので、
もったいぶって明日に書こう
つづく・・・
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