「力尽きる・・・」
大阪は帝塚山で新婚生活を始める竹鶴夫妻、
しかし肝心の「摂津酒造」が経営難に、
第一次世界大戦後の戦後恐慌によって、
莫大な資金の掛かる。
ウイスキー造りの資金調達ができなかったため、
「阿部喜一郎」の夢は、ここで力尽きる・・・
この「摂津酒造」帝塚山の喫茶店のママからも、
「ありましたよ」との証言は戴いたが、
残念ながら正確な跡地までは掴めなかった。
のだが、数日前常連氏のTさんが連れて来られた方が、
なんと「摂津酒造」があった。住吉一丁目生まれの方、
30数年前まであり、刑務所のような高い塀に囲まれていたと、
場所もはっきりと解ると、詳しくお聞きした。
そうか、あの団地の辺りだったのか、
又、機会があれば行って来ます。
のちに「摂津酒造」は「宝酒造」に合併吸収される。
1922年竹鶴はその「摂津酒造」を退社し、
大阪の桃山中学(現:桃山学院高等学校)
で化学を教える教師となる。
ウイスキー職人は浪人生活に入る。
リタ婦人も内助の功で、ここでピアノや、英語を教える。
「帝塚山学院」
こちらの立派な校舎は、
「帝塚山学院小学校」
この近くには「万代池」
ばんだい池、まんだい池とも言うのだが、
又、詳しく説明します。
その池が、
ここを二人は散歩しただろうか、
幼き日に私も父と何度も来た事が懐かしい、
その当時は貸しボートもあり、
沢山の人が魚釣りを愉しんでいた。
今は、釣りは禁止のようだ。
こんな近くに日本のウイスキーの父が居たとは、
池には沢山の鴨が、
そして,最大の奇跡、浪人中の竹鶴に、
一人の大阪人が尋ねて来る。
そう「鳥井信治郎」壽屋社長、
サントリー創業者、
「赤玉ポートワイン」の成功で、
国産ウイスキーの誕生を夢見たもう一人の男、
スコットランドにウイスキー技師を探し、
連絡をすると、スコットランドから逆に、
「あなたの国にはMrタケツルが居るはずだが」
と、まさかの返答、摂津酒造時代に、
面識のあった竹鶴を探し、迎えにきたのだ。
そして、竹鶴は破格の待遇で、
10年契約し、1929年、
見事国産ウイスキー第一号
サントリーホワイト、「白札」を、
私の家のすぐ近くの、大阪は港区にある。
大阪第一工場で誕生させ、
竹鶴氏は、サントリーを退社する。
しかしこの「白札」
当時としては本格ウイスキー過ぎて、
あまり売れなかったと、
いつの時代も本物を求める人は少ない、
いや、まだまだ解らなかったのだろう、
そして今の時代も同じ事が起こっている。
良質のシングルモルトが次々と低価格で、
入って来ているが、CMをしていないので、
認知度は低く、人は信じない、
悲しい事だが仕方の無い話だ。
遥か北海道は余市を目指し!
それは多くの大阪人に支えられていた・・・
★ 昨夜夕刻、NHK朝の連続ドラマ「マッサン」
の主演夫婦が発表された。
竹鶴政孝氏に昨年放送された「八重の桜」で、
山川大蔵を好演した「玉山鉄二」さん、
リタ婦人は米女優「シャーロット・ケイト・フォックス」さん、
この女優さん殆ど無名に近く、
日本語も話せないようだが、
是非、頑張って頂きたい、
期待しております。