黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

大阪ウイスキー物語 8

「柔道」

最愛の妻になる。
リタさんとの出会い、
そして結婚、少し長くなるので省略します。
それは、リタさんの家に下宿し、
弟さんに柔道を教えると言う事になる。

リタさんと、竹鶴政孝を結ぶ、
きっかけとなったのが日本の柔道でした。
そこで、私には一つの疑問が生まれた。

この時代で、既にイギリスで、
日本の柔道が有名だったのか?
まだまだ先になる東京オリンピック


今回は、少し道を外れますが、
リタさんとの出会いを与えてくれた。
日本の武術、「柔道」

では、何故柔道がイギリスで知られて居たのか、
すると一人の日本人が浮かんで来た。

名を「小泉 軍治」
日本の柔道家なのだが、
又の名を「イギリスの柔道の父」
彼は、1906年にイギリスに渡っている。

記述によれば、
1918年には自分で費用を出して,
ロンドンに武道会を設立したとある。

1918年と言えば、
そう竹鶴政孝がイギリスに渡った年、
しかし、もう少し早く、柔道は海を渡っていた。


英国パース大学 「マイケル・カラン」博士の記述、
「柔道の国際化と礼法に対する関心」によると、

既に1800年代に、日本に在住していた。
鉄道技師「エドワード=バートン・ライト」
をはじめとする歴史的人物によって、

イギリスにもたらされたとある。
エドワードは「谷幸雄」をはじめとする
数名の日本人柔道家をイギリスに招き、
音楽ホールでその技を披露させている。
1900年9月の事である。


「小泉軍治」はその後に続く事になる。
又、エドワードはその柔術を変化させている。
こういう記述がある。

「日本の柔術に、ステッキによる相手の指折り術」と、
パンチ・キックの技を合わせた護身術」を
「bartitsu」(バーティツ)「バートン流柔術の略」
と名付けてロンドンで教えており、とあり、

この「バーティツ」なる。神秘な日本武術が
「バリツ」と名を変え、

コナン・ドイル」原作の推理小説
「空き家の冒険」(1903年)で
シャーロック・ホームズ
が会得しているとされる。
架空の日本武術であるとも言われる。


ホームズの必殺技である。
必殺技と言えば「谷幸雄」氏も当時、
「飛びつき腕十次」と言う技を披露している。


こういう方々が居られたことで、
柔道がイギリスに広まり、
その事によって、柔道を介して、
竹鶴政孝とリタ夫人は結ばれる。
これも奇跡だろう、


その後、摂津酒造「阿部喜兵衛」は渡英し、
二人を祝福「連れて帰りなさい」と、
リタさんは飛び上がって喜んだと言う、

この時「阿部喜兵衛」は、
一人の大阪人の名前を呟く、
物語は大阪ウイスキー物語と、
名づけた真相へと進む・・・

       つづく・・・