黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

オホーツク挽歌と紙飛行機

先日、親子で来られたお父さんが、
私が宮沢賢治が好きだと、ブログで知ったと、
そこで色々と、質問を考えて来られた。


その中の一つに、紙飛行機をご存知かと、
申し訳ないが、知っていると、
では止めておこうと、
まあ、あまり深い話しになってもと思い、
私も詳しくは話さなかった。


しかし、私のブログをかなり読んで戴いているようなので、
では、ここで書こうと、
店が終わってから、一人、
宮沢賢治「オホーツク挽歌」を思い出した。


まずは「オホーツク挽歌」なのだが、
これは、1923年7月31日から8月12日にかけて、


北海道からサハリン樺太)まで、一人旅をしているのだが、
 この旅行は、樺太王子製紙に勤務している先輩に、
農学校の自分の教え子の就職を依頼することだったのだが、


実は賢治は、前年の11月に亡くなった最愛の妹 「とし子」
の魂の行方を探す旅とされる。


難解な詩なので、私ごときには理解できないが、
その一文に、
「幾本かの小さな木片で

   HELL と書きそれを LOVE となほし

   ひとつの十字架をたてることは

   よくたれでもがやる技術なので

   とし子がそれをならべたとき

   わたくしはつめたくわらつた」

これは、キリスト教系の大学の女子寮で、
「とし子」が覚えて、賢治に披露した。


マッチ棒の遊び、
こういう事だ。

「HELL」
これを、少し動かせば、
こうなる。

「LOVE」と十字架が出来る。


それに対し賢治は「つめたくわらつた」と、
これは訂正されていて、
確か初めは「けいべつした」だったと思う、


ある方が、これは法華経信者の賢治が、
キリスト教的な発想に対するものだと、
書いていたが、はたしてそうだろうか、
私はもっと単純で、純粋なものだと思う、


そして、1996年、
この年は大変だった。
宮沢賢治 生誕100周年」

次々とTVで特番が放送され、
実際に観る。録画すると、
大忙しだった。


その中の一つの番組で、
これが取り上げられる。

        つづく・・・

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