あれから、もう何年だ。
私は、北新地のBARの雇われマスター、
当時は、お酒は飲まずに、一生懸命働いていた。
その日、ビデオ屋さんで、「アフリカンダンク」と言う、
ケビン・ベーコン主演のバスケットボールのビデオを借りていた。
深夜3時頃、帰宅、ん?何だこれは?
驚いた事があった。星だ。
いつもは見えない星が、無数見えた。
暫らく、夜空を眺めた。
ビデオはなんて事の無い、内容だった。
5時過ぎ頃、床についた。
眠れなかった。
寝返りを繰り返していた時、
来た・・・・
阪神大震災、どん!
と、突き上げられたと思った瞬間、
布団から体がずれた。
タンスが揺れた。
柱がねじれ、バキバキと音を立てた。
危ない、瞬間、子供と嫁の上に、
外の壁が音を立てて崩れていく、
それが、下の自転車に当たり、
もの凄い音に・・・
それが、恐怖を倍増させた。
長い、な、何だこの地震は、
終わらない、揺れが続く、
ほんとに長かった。
治まったと思った瞬間、
ある事を思い出した。
偶然にも私は少し前に、
震災関連の本を読み、
非常時用のリックも用意していた。
その本によると、扉が開かなくなると書いていた。
慌てて、玄関に、ん?んん?
開かない・・・足で何度も、扉を蹴った。
何とか、外に、
すると、2軒隣のおばさんが、悲鳴を、
「助けて!!!」
行ってみると、やはり、扉が開かないようだ。
仕方ない、渾身の力で引っ張った。
扉と一緒におばさんが飛び出して来た。
「た、助けて!!koa5476##42q7u」
駄目だ、完全にパニックを起している。
背中を何度も叩いた。
おばさんを座らせ、マンションの外に、
2Fの私の部屋の外壁だけが、異常に崩れていた。
道路からはガスが噴出している。
工場の方から、サイレンが鳴り始めた。
この辺り、重化学工場などがある。
だ、大丈夫なのか?
その次の日から、全く眠れなくなった。
自衛隊のヘリが、
我が家の真上の上空を毎日、何度も、何度も通る。
その度に、轟音が響き、窓が外れそうになる。
多くの知り合いの方を亡くした。
しかし、この震災が私の背中を押し、
独立した。
いくら真面目に働いても、もう一度、これが来たら終わりだ。
なら、今のうちに、後悔の無いように、
と、本当にそう思った。
私の家のあった地区は、大阪市内では、多分、唯一、
激震地区に認定され、家は退去させられ、
被災者となった・・・
当時、娘は3歳、
家の壁を指差し、
「お父さん、外が見えるね」
と、言った。
崩れた壁の穴から、青空が見えていた。
今でも、目に焼きついている・・・・
全く話は変わるが、最近、家の近くに、
見た事も無い、鳥が次々と現れる。
ミナミの道頓堀にも、以前は、鳩かスズメしか居なかったのに、
こんな鳥が、これ名前なんですか?
これも、温暖化の影響なのか?
多分、あの人なら解ると思うんだけどな、
探してみよう・・・