黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

羅須地人協会

「下ノ畑ニ居リマス 賢治」
 
これが何か分かるだろうか?
これは私がもっとも愛する宮澤賢治
「羅須地人協会」の扉の横の黒板に書いていた言葉だ。
これには本当に驚いた。
木で出来ているのだがハガキなのだ。
うちのアルバイト店員ガミ君が
花巻の宮澤賢治記念館から送ってくれたものだ。
畑仕事を賢治がしている時に黒板に書かれたものだ。
いや〜驚いたというのは
ハガキがでは無いのだ。
私は今年の夏も遊んだというか挑戦した。
50歳前にもなっても若い人達にもまれながらも
サーフィンしキャンプを張り、
釣りにもこのブログもそうだが、
一向に皆そういうものには興味が無いのか参加しないし
自分から何かを始めようともしないのが淋しいのだ。
だが恐ろしいぐらい肉欲は激しいのに
自分自身でチャレンジして自分を高めようとはしないのが
不思議でたまらない、
女は男を求め男は女を求める
その激しさやBARがサバンナ状態だ。
出会った所で自分のフォルムがキムタクでもなけりゃ
エリカ様でもないのでどうにもならない、
後は金があるかだろうがパリスヒルトンでもない、
それなら色んな事に挑戦して
自分を高め人の話題に便乗するのではなく
「自分の話題」を作るという事は考えないだろうか?
それを人は努力という、
求めているのは「棚からボタもち」なのだ。
私達がいくら勉強して酒の知識を付け、
技術を高めた所でそんなもんは何も関係無いのだ。
何年か前から自分を女郎屋の「やりてババァ」ならぬ
「やりてジジィ」のように思え虚無感が募るばかりだっだ。
カウンターでグダグダ酒を飲んでいればいいのだ。
後は可愛い男の子か女の子が来てくれれば売上は上がる。
金髪(自分の服のサイズがMなのかLなのかも
解からない名古屋人の2頭身の従業員)
が「伊勢谷夕介」君にそっくりなら売上はうなぎ昇りなのだが、
いかんせん「ニコチャン大王」なのだ。
それでも店を開けてくればいいのだ
後はそこに広大なサバンナが広がり、
肉欲に溢れたハイエナと肉欲を垂れ流した亡者達が集まる。
男も女もなのだ。
店主の趣旨などどこ吹く風なのだ。
お金を使う使わないに限らず
店の趣旨を理解し店を大事にしてくれる
お客さんが本当のお客さんなのだろう、
ただ人の店を自分の猟場として利用する。
自分の家でやれと言いたくなる。
そして猟場巡りとういう名の
BAR巡りという亡者の巡業が始まるのだが、
全く何も変わらないだろう、
自分自身が変わらないのだから、
だが私は当初から宮澤賢治に憧れ
大正区にBARと言う名の「羅須地人協会」
を作ろうと今までやって来たのだ。
賢治は自分の資産で子供達を集め
レコードを掛けたり自作の芝居を演じさせたりと
芸術に触れさせた。
そして農業を芸術の粋まで高めようと頑張ったのだ。
そうだ「羅須地人協会」だ。
BARは本来文化交流の場所なのだ。
フランスの画家達がBARで芸術論を語り、
日本でも世界でも小説家達が愛した場所
それがBARなのだ。
何日か前にすっかり忘れていたその事を
思い出し改めて頑張ろうと思った次の日このハガキが来たのだ。
そりゃ〜驚く、
いや〜驚いたぞ〜!
我が心の師宮澤賢治からのメッセージなのだ。
賢治も周りからは理解されていなかっがそれでも頑張ったのだ。
「腐らず頑張れ!」と賢治が励ましているのだ。
そして今年サーフィンに行く日に作った私の掛札がこれだ。
誰かの色に染まる事はないが
誰かの話に耳を傾ける事は大事な事なのだ。