全ての道はローマに通ず、
いや、全ての道は龍馬に通ず、
歴史の面白さは、深き森の中、
木々の枝が絡み合うように、
リンクする。
「龍馬暗殺」と我先祖「郡山藩」の事を書いて来た。
龍馬暗殺部隊、今井信郎の明治に入ってからの供述では、
主犯格は組頭の佐々木只三郎、
他に渡辺吉太郎(篤)、高橋安次郎、桂準之助(早之助)、
土肥仲蔵、桜井大三郎、
この中の「渡辺篤」は晩年、自分が龍馬を斬ったと、
弟や弟子に伝えている。
そして、近年龍馬を斬ったと言う刀が寄贈され、
一躍、龍馬を斬った男とされる。
「桂早之助」
この両者とも「西岡是心流」の小太刀の使い手、
その「西岡是心流」とは、
開祖の名前、
「西岡是心」その人なのだが、
この御仁、何と我先祖「郡山藩」の出身のようだ。
が、しかし残念ながら詳しい事が解らない、
幕末、高輪東禅寺に襲い掛かる。
水戸藩剣士を撃破した郡山藩の強さの秘密が、
ここにあるような気がするのだが、
しかし「郡山藩」には、
剣術指南役に、
日本三大仇討ちの一つ、
鍵屋の辻の決闘で知られる。
「荒木又右衛門」が居た。
1600年代の話しだが、
長い年月の流れの中でも、
こういう方々の教えが、
脈々と生き続け、
幕末の活躍に繋がったのだろう、
目立つものばかりに、
目を奪われて、自分の先祖の事もよく知らなかった事に、
恥ずかしさを感じた。
文久3年(1863年)の天誅組の変鎮圧でも功績を挙げている。
我先祖の郡山藩、
又の機会に詳しく調べてみたいものだ。
そして「西岡是心」が気になる・・・
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