黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

朝ドラ おちょやん 2

 私の父や、祖父が生きた時代が、

展開されている。

NHKの朝ドラ 「おちょやん」だが、

大阪は、ミナミ、道頓堀の近くで、

 

生まれた。私の父だが、

生まれた時に、お祝いだと言って、

同じ長屋に住んでいた歌舞伎役者さんから、

当時は、高価で庶民には手の出ない、

 

カメラを頂いたと言うが、

それを父が晩年に書いた手記の中で、

誰なのかが判明して驚いた。

まさかの初代 「中村鴈治郎

 

いやいや、そんな馬鹿な、

当時の歌舞伎のトップスターが、

と、思い少し前に調べた事があるのだが、

人気絶頂にも関わらず、

 

生活は質素で、ミナミの長屋に住んでいたと、

記述があり、本当のようだ。

祖父とは、交流があったようだ。

と、言うのも祖父の仕事は、

 

幇間 太鼓持ちと呼ばれる芸人の一種で、

三味線の名手で、安来節

どじょうすくいの名人だったと言う、

確かに、舞台で踊る写真や、

 

当時では珍しかっただろう、

ブロマイドがあり、

実家に飾ってあった。

一度大和郡山に帰り、

 

又、大阪はミナミに戻るのだが、

祖父は幇間の仕事に戻るが、

人気はあったが、生活は貧しかったようだ。

祖父は三津寺筋がテリトリーだったようだが、

 

私が幼い時に亡くなっていて、

私は記憶に無いのだが、

奇妙な縁を感じる。

私も夜の世界に初めて入ったのは、

 

三津寺筋のお店で、

自分で、初めて店を出したのも、

三津寺筋だった。

そういえば、40年程前、

 

法被の背中に、笠屋町と書いて、

三味線を持って歩く年配の方を、

何度か見掛けたが、

多分、幇間で、祖父の流れを継ぐ方なのだろう、

 

今思えば、話しかければ良かったと、

後悔している。

で、父は小学生になり、

小学校に行く事になるのだが、

 

どうも、この小学校が、

大変な学校だったようで、

なかなかに辛い目に合うようだが、

それは又、次の機会に、

      つづく・・・