「蝉しぐれ死に場所をさがしてゐるのか」
種田山頭火の句なのだが、
数年前から「最後」と言う事が気に掛かる。
「死に様」「死に際」「死に場所」
そして「潔さ」
そう「潔さ」これが大事だ。
と、考えると不運とも呼べる。
日本の戦艦が一隻、ほぼ70年前の1946年
7月29日海の底に沈む・・・
名を「長門」当時日本が誇る巨大戦艦、
そしてその「長門」を沈めたのは「核」だった。
「長門」の日本軍最後の艦長は、
「杉野修一 」大佐なのだが、
戦後、もう一人艦長が居る。
「W・J・ホイップル 」大佐
米軍に引き渡された「長門」は、
その大佐の元180名の米海軍兵を乗せ、
太平洋はビキニ環礁に連れて行かれる。
そうアメリカの核実験、
名を「クロスロード作戦」
「長門」は二発の核爆弾を浴びる。
一発目「エイブル」が空中で爆発する。
7月1日、数隻の日、米、独の様々な船が配置されたが、
中でも阿賀野型軽巡洋艦「酒匂」は、
ほぼ真上が爆心地となり翌日に沈没、
爆心地がずれた事により「長門」はほぼ無傷、
7月25日、二発目の核爆弾「ベーカー」が海中で爆発、
この時は、爆心地から900-1000mの位置にあり、
右舷側に約5度の傾斜を生じたのだが、
その後4日間、
「長門」は耐えた。
日本の技術者の意地と共に、
二発の核爆弾を浴びて、
アメリカの核実験を批判するかのように、
「長門」は4日間沈まなかった。
この事が妙に私の胸を刺す・・・
「蝉しぐれ死に場所をさがしてゐるのか」
戦時中の戦艦の砲撃の嵐を蝉しぐれとするなら、
この船も又、死に場所を探していたのかも・・・
そしてその場所と死に様が嫌だったのだろう、
4日間は無言の抵抗のように私には思えて仕方ない、
「潔さ」にはTPOが大事だと、
「長門」が私に教えてくれたような気がする。
この「長門」の4日間も又、
もう一つの戦争のような気がする・・・