黄昏ウイスキー 

大阪は京セラドーム前の大人の小さなBAR「BARin」の日記 

枯葉の墓標 森木豊と鬼塚道男  後編

銀河鉄道 999」第21話に、
自分の命を懸けて「999号」の危機を救った。
「森木豊」なる人物が登場する。


が、これはあくまで漫画に過ぎない、
私はこの話しの「森木豊」の実在の人物を、
幼い時から知っている。
名を「鬼塚道男」と言う、
「鬼塚道雄」との表記もある。


思い出すたびに、
涙が溢れそうになる。
人間としての、生き方とは何なのだと、
そう問いかけてくるような、
壮絶な出来事がおこる。


時は終戦直後、昭和22(1947)年9月1日午前8時、
大瀬戸発、長崎行きのバスは満員の乗客を乗せて、
打坂峠を登っていく、
この打坂峠は、片側が崖、
通称「地獄坂」
舗装もされていない悪路、
その坂の途中、
いきなりバスが故障、


ブレーキも、サイドブレーキも、
エンジンも、ギアも全てが駄目になると言う最悪の事態、
運転手が車掌であった鬼塚に言う、
「石でも、木でも何でもいいから、車輪に挟め」と、


ジリジリと急な坂道を後ろに下がるバス、
そのバスの中に闇市や、被爆した子供を病院に連れて行く、
母親達が30名、
懸命に、石を車輪に挟む鬼塚車掌、
が、スピードが増し、車輪は石を粉砕、
その先には20mの崖が、
数メートル前、皆が「もう駄目だ」と思った時、


バスがゆっくりと止まった。
崖から、ギリギリの所だったと、
一人の乗客が降りて、
叫んだ。


「後ろの車輪に、人が挟まっている」と・・・



皆、口々に感謝の言葉を言うが、
何も無い時代、戦後・・・


それから26年の月日が流れ、
昭和48年、この事が新聞で取り上げられる。
しかし、私はこれをTVで観たように思う、
それを観た当時の長崎バス長崎自動車)社長が、
発起人となり、
一年後、この坂の途中に、
「打坂地蔵尊」が建てられる。
別名「救命地蔵」と言う、
http://www.nagasaki-bus.co.jp/bus/jizouson/index.html


1947年9月1日、午前10時頃の出来事である。
鬼塚車掌、当時21歳の殉職・・・
当時、9歳だった。
松本零士」少年、


小学3年生から、同じく九州は小倉に移り住む、
1974年に建てられた
「打坂地蔵尊
その数年後1977年から、
銀河鉄道 999」の連載が始まる。


これが「森木豊」と言う日本名にした理由では無いだろうか、
と、私は思う、
そして、木の体を持つと言う意味で、
「木」と言う漢字が、


主人公である「星野鉄郎」には、
鉄道を表す「鉄」の漢字が、
そしてバスの車掌であり、
坂道で不幸にあった。
鬼塚氏にも「道」の一文字が、


そして、何よりも、鬼塚車掌のバスは、
「木炭バス」
炭を燃やして走る。
「999号」も「森木豊」を燃やして、
走り去る。
が、この「木炭バス」がいけなかった。
後部に大きな釜が付いているのだが、
それが、後ろに暴走するバスのスピードを増す事になった。


しかし、数年前、私はバーテンダーならではの、
凄い事実に気付く事になる。
それは・・・・

        つづく・・・・


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