黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

酒通信 威風堂々!!

威風堂々とは?
今思う事がある生活は苦しくとも仕事に埋もれようとも
威風堂々と生きていたいと思う。
周りをみれば姑息や卑怯、人を欺き騙す人間達の群生
芥川龍之介が過去に警鐘を鳴らした正に「蜘蛛の糸」の時代が来た


もう一度考えようではないか、この言葉をこの響きを
あなたはこの言葉に当てはまる場面や人、物がありますか?
そしてそれに憧れ追従しようと思ってますか?
あれば是非威風堂々としたコメントをお願いしたいものです。


私が思う威風堂々はやはり「山岡鉄舟」先生だろう
西郷隆盛」が駿府城まで攻め上がった時にたった一人
勝海舟」の使者として大声を上げ敵軍の中に立ちはだかる。
山岡鉄舟」先生の気迫におのずと道は開かれる。
人間としてのレベルで言う勇気では出来ない事だ。
禅や書や剣術を極めそこからより強く壮大な計り知れない諸行の力を
掴んだ者だからこそ出来る逸話であろう
この会談で殆どの条件は決まっていたのだが
世間は「西郷隆盛」と「勝海舟」の無血開城会談を高く評価する。
馬鹿か!それはただの確認作業にしか過ぎないのだ
TVのドラマや歴史番組でこのシーンが出るとヘドが出そうになり
画面を拳で叩き割りたくなる。
命を掛けたのは誰だと思っているのだ!


NHKの「龍馬伝」ではどこまで描くか分からないが
もし「山岡鉄舟」先生の下りが無く
西郷 勝会談に飛べはその日から我が家でTVを観る事は
不可能になるだろう、、、、


そして死に様だ私は思う人間は「生き様」と「死に様」
このどちらが欠けてもいけないのだ。
坂本龍馬」の死は暗殺、これは非業の死として
ドラマチックなものだが「山岡鉄舟」先生は
自ら自身の死を悟り皇居に向かい座禅を組み
そのままの姿で絶命する。さあどうだそれが出来るだろうか?
正に威風堂々である。

そして「死に様」と言えば「十辺舎一九」もそうだ
死に際に袋に大量の線香花火を詰めその袋を抱いたまま燃やされる
最後まで「東海道中膝栗毛」という喜劇を貫いた。
また江戸時代の噺家で「林家六助」なる人物も
「死に装束はもったいないこのまま川原で焼いてくれ」
と弟子に頼み火を点けると大量の花火が爆発!
弟子達は腰を抜かした。いいぞ!六助さん!


これぞ威風堂々ではないだろうか?
がしかし生命を持たぬ物にもこの威風堂々は存在する
例えば山や海などは当然なのだが
酒だ、、
価値観の相違による多少の偏見はあるだろうが、、、
皆様長い長い前フリにお付き合いありがとございます。
では紹介しよう!これだ!


もう語る必要もないだろう
見ろ!この存在感
「グレンリベット25年」
自信が漲っている!
静と動を兼ね備えている。
湖の内なる静寂
高圧感さえ感じ、ときめきとも取れる躍動感
「生き様」と「死に様」を持つ
一本の酒、、、
私が歩いてきた道が間違ってなかった事を
確信させる逸品!


間違っていなかった、、、、
そう間違っていなかったのだ
昨夜も四国が生んだ若き侍を覚醒させてしまった。
彼は私のこのブログを読み立ち上がったのだ。
臆病男爵や私達の不甲斐なさに奮起したのだ。
初めて来た時の彼はの目は死に顔はやつれ
魂は抜けていた。
私は即座にこう告げた「死ね!」
彼は憤慨したがようやく意味を理解したようだ。
「死ね!」とは死ぬ覚悟を持ち「生きろ!」という事なのだ。
その言霊が響いたのだ。



そして伝説は幕を上げる、、、
アードベック ブラスダから始まり
コリーヴレッカン、アリーナムビーストを
粉砕!ついにスーパーノヴァに手を掛けた
そしてあ嬢が持つ2杯の記録を抜き
続けざまに3杯飲んだ。
圧巻は最後の3杯目が2口だった事だ
T君よ君に「Mrアードベック」の称号を与えよう!
前人未到の快挙を賞賛しよう
だが飲み過ぎ注意なのだ。


10周年 
「グレンリベット25年」の勇士だけでも
見に来て欲しい
明後日、、、、