ついに、5月が終わる。
当たり前だが、6月になる。
3年・・・
長いようで、短いような3年間、
ブログ、たかがブログ、されどブログ、
何とか続いた。
もうすぐ3年、
石の上にも3年、
何事も3年続けて、扉が開く、
と、私は思っている。
が、自分で一応3年と言う期間を設定していた。
この先は気が楽になる。
いつ止めても、目標は達成したからだ。
しかし、このブログに助けられ、
突き落とされ、何かと大変だった。
悲しい事は多くの方が、
やはり止めて行った事だ。
どうされているのか、
いまでも感謝の意を述べたい方もいる。
しかし、ブログが止まった今では、
それも不可能な事だ。
嫌なコメントもあった。
自分が気に入らない事だけ、
反応してくる。
この正体の解らない、
人達と初めて対峙したのも、
ブログだった。
あなたは誰ですか?
歳を取っていると言うが、
文面は中2、
もしかしたら、中学生が書いているかも、
まあ、可能性が無い事は無い、
それも、ブログだ。
が、大体は解った。
何を書いたら反応してくるか、
まあ、発言する場所を間違えれば、
我が町の長のようになる。
まあ、自分で掘った。墓穴なので仕方ないが、
お疲れ様です。
しかし、まあ、圧巻の発言は、英語が話せない・・・
それなら国際問題に触れない方がいいのでは、
と、誰しもが思うだろう、
例え間違った事を言って無くても、
言葉の取り違え、文章の解釈の違いは、
このブログで嫌と言うほど味わった。
日本人が、日本人に向けてもだ。
が、大事なのは、正義の反対が悪では無い、
もう一つの正義なのだ。
しかし、一番助けられたのは、
惜別、
ここ数年、何度も親しい方の死に直面した。
このブログで何度も書かして戴いた。
書くだけで、かなり気がまぎれた事は確かだ。
そして、今、又一人旅立とうとしている。
近日、見舞いに行く予定だったが、
もう、そういう時期でも無いようなので、
断念した。
音楽を通じて、水商売の仲間として、
長い時間、同じような道を歩いて来た。
私と同じ歳の女性、
しかも、驚いたのは、
私が毎日のようにうろついている。
西区は九条の病院のようだ。
もう少し早く知っていれば、
後悔が残る・・・・
何度、こういう目に会うのだ。
しかし、先人達は、もっともっと味わっているのだろう、
特に戦争だ。
と、書くとやられるので、
注 「戦争とは、戦場に行った兵士だけを指すのでは無く、
内地に残った者、いやその時期に生きていた者、
全ての命を含む、それを略して戦争と書きました」
何とも面倒臭いが、
こうしないと上げ足取りに狙われる。
その時期に生きた人達は、
理不尽な死に、何度、直面した事だろうか、
それを思えば、乗り越えられる。
いや、当然、乗り越えないと、
私は戦争に同感している訳でも、
美化している訳でも無い、
死にたくないのに死んで行った方達(内地の方も含め)の、
屍の上で、酒を飲み、歌を歌い、
こんな下らない文章を自慢げに書いている。
だから、死ぬまでは生きようと、
いや、生かされているうちは生きようと、
臭いものに蓋をせず、
今、直面している苦しさと戦う為にも、
戦争の悲惨さを、
本当の真実を、伝えるべきだと、
私は思うのだが・・・
友よ、会いに行けなくて、
すまない・・・
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