黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

10、000アクセス突破!

いや〜これだけ書き込んでやっと合計10、000アクセスだ。
アクセス管理をしだしたのが途中からなので、
正確には12、000〜13、000だと思うが
なかなか大変だ。
芸能人やモデルさんのように1行なら簡単なのだが


そうはいかないだろう、
脇の臭い50前の糖尿病のおっさんのブログなのだから、、、
面白い事を書かないと誰も見ないだろう
かといって見られる事を気にしてては何も書けない


昨夜は異常にアクセスが伸びていた。
恐いぐらい数字が上がった。
やはり世の中変わり者が多いのがよく判る。
こんなブログを読んだところで、、、
なのだ。


書き込むといえば「泉尾だより」11月号なのだ。
恐ろしいぐらい書き込んでしまった。
技師のN氏に言われて分かったのだが、
通常2000字程度のところ
なんと5000字オーバー、、、
く、狂っている、、、
いくら思い入れの強い「ジャミラ」とは言え
5000字はやりすぎだが
今回そんな感覚は全くなかった。
3000字ぐらいの感触だったのだ。


削除して欲しいとの連絡だが
これが一番難しい、論点がずれる。
ボロボロになり、偏った文章になる。
例えば積み上げた積み木の下を全部抜くような作業なのだ。
む、無理だ、、、


コラムは論文や説明文と全く違う所は
コラムにはやはり起承転結が必要なのだ。
そのどれが抜けても可笑しな事になる。
所謂面白おかしな「自論」なのだ。
無駄だと思えわれる所に意外と必要性がある。
文章も「無用の用」なのだ。
だがそれをもっと面白くするためには説明も必要になる。
正確な記述なのだ。


そして喜怒哀楽、そのものに対しての喜びや悲しみ
怒り、哀愁などが書き込まれていないと文章に鼓動が無くなり
脈を打たない、、、死文となる。
そういう割には今までは確たる持論は無かったのだが
来月号にはかなり自信がある。


少し訂正して前編、後編に分けて頂くようにお願いしたのだが
どうなる事やら哀獣「ジャミラ」よ、、、、


とまあ偉そうに文章の事を語っているが
全ては「感」なのだ。
第六感か七感なのだろう


だがそれも言うほど間違いでも無いかもしれない
お笑いのイベントの台本を素人から書き出し
約10年ほど書いて来た中で
色んなものを吸収していたのかも知れない


一番難しいのは当然だが伝えると言うことだ
こちらがいくら面白いと思っても
見る側や読む側に伝わらないと全く意味が無い
だからと言って説明しすぎるとオチがミエミエになり
長い説明はかえって退屈させてしまう


だから少し説明し、それを常に裏切らないといけないのだが
裏切り過ぎると又伝わらないのくり返しだった。


又一字入れるか入れないかでテンポが変わる
私の句読点の変形はそこから来ているのだろう
点を入れなければいけない所でも
演者の呼吸もある。だからあえて飛ばすのも一つの
技術なのかもしれない
例えば上記の一部を変形させると
「50前のおっさん」と書くのと
「50歳前のおっさん」と書くのでは
文章が柔らかい分「歳」が入る分だけで
テンポが変わる事は分かるだろう
何度か読むと分かるのだが必ず「50」と「歳」の間に
半拍程の不思議な間が入ってしまう
だからそこに詳しい説明は要らないのだ。
又逆の事も言える。
この不思議な間を使えば引き立たせたい所が引き立つ
「脇の臭い50前の糖尿病のおっさん」
分かるだろうか?「50前」と「糖尿病」
の部分で臭いの「い」の部分と50前のの「の」の部分に不思議な「間」が発生している事で
「50前」と「糖尿病」がはっきり浮き出ている。
しかしこれは悲しい事に大阪弁が理解出来ないとなかなか分からないのだ。
「雨」と「あーめー」、「箸」と「はしー」の違いなのだ。


まあこの微調整には苦労の連続だった。
それと自分が面白いと思い書いたコントを人が演じる事も難しい


まずは確たる信頼関係がなければ演者は思いっきりやってくれない。
それは日頃の会話などからも判断されるので、
演者と会っている間は気が抜けなかった。
この人面白くないと思われればそれまでなのだ。


そう考えるとこのブログもコラムも
知らぬ間にお笑いの台本のような書き方になっている。
だから独特という表現をよくされるのだろう
TVや舞台でお笑いは見てもやはり台本として読む事はあまりないだろう
まあそれは自分でも最近気付いたのだが、、、


最近このブログと「泉尾だより」のおかげで極度の眼精疲労から来る
肩こりに悩まされている、、、
労災は下りないのだろうか、、、、