黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

酒通信 ニュージーランドのウイスキー 2

ニュージーランドで、

女性の方が、蒸留所を作られたと、

数年前に、話題になり、

脚光を浴びたが、

 

それは、昨今の世界的、

ウイスキーブームの影響かと、

軽く思っていた。

ついにニュージーランドまで、

 

ウイスキー造りが、

小さな島国のようになっている。

我が下町にいると、

こういう話をする方は、

 

全く居られず、閉鎖的になり、

自分自身で、情報を取り、

自分自身で知識を蓄え、

完全なるガラパゴス系進化となる。

 

ニュージーランドウイスキーの、

歴史が浅いと言うのは、

全くの間違いである。

時代を遡る事、1848年、

 

日本では嘉永年間、

この嘉永6年、1953年6月に、

日本に大混乱を招いた。

ペリー提督が黒船4隻で、

 

浦賀に現れる。

と、当時の時代を掴んで頂いて、

ニュージーランドの1848年、

南島にあるダニーディンに、

 

蒸留技術を持つ、

スコットランド人が定住する。

そのダニーディンだが、

ゲール語で、エジンバラを意味する。

 

その後、ニュージーランドディスティラリーが、

創業を始め、1873年

日本では、明治6年

明治6年の政変で、

 

西郷隆盛ら多くの参議が辞職し、

きな臭い空気が流れだし、

その後、1877年、明治10年に、

西南戦争勃発、

 

その頃、ニュージーランド

1873年には、なんと、

ウイスキーの月間生産量が、

8000ガロン、リットルに直せば、

 

30283.29リットル、

どれぐらいの人口だったか、

正確には調べていないが、

それほど多くはなかったはず、

 

と、なると驚くべき数字である。

と、思うだろうが、

これには訳がある。

1861年 ダニーディン近郊の、

 

ガブリエル渓谷で、金脈が見つかり、

ゴールドラッシュが起き、

世界各地から、採掘者が訪れ、

人口が急激に増加する。

 

そのゴールドラッシュは10年程で、

終息するのだが、そのおかげで、

ニュージーランドの経済が、

発展する。

 

なのだが、どこの国のウイスキーも、

必ず起こる戦い、そう税務署、

ニュージーランド政府の増税策を、

 嫌い、閉鎖される。

 

のだが、1970年代に復活する。

話は長くなるので、

今日はここまでとします。

 丁寧に解説している。

 

つもりだが、乱文故に、

解りづらいと思いますが、

頑張って付いて来て下さい!

    つづく・・・

 

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