黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

大阪の巨星落ちる・・・

まあ、仕方ないと言えば、

それまでであるが、

せめて、もう少し、

頑張って頂きたかった。

 

 

残念であると同時に、

灯台の灯が消えたような思いである。

何十年もの間、

この大阪を牽引し続けて来られた。

 

 

堺屋太一氏が、

お亡くなりになった。

歴史は繰り返される。

1964年、東京オリンピックから、

 

 

1970年、大阪万博

奇しくも、又、同じような流れに、

その大阪万博を成功に導いた。

大いなるエンジン、

 

 

私自身も大きな影響を、

与えられている。

ずっと言い続けて来た。

この町にもっと他の町の人に、

 

 

来た頂きたい、

と、言う考え方も、

氏の書籍の影響が大きい、

と、物差しを伸ばすと言う、

 

 

考え方も、

この町では、この町の店の、

話しか出て来ない、

いくらこの町で一番であろうと、

 

 

大阪でビリなら、

同じである。

しかし、そうするなら、

レベルを上げないと、

 

 

この町の人ならともかく、

他の町の人からは、

見向きもされないだろう、

故に日々精進している。

 

 

人徳や、人柄が売りでは、

海外の方に通用する訳が無い、

ましてや、それが売りなら、

料理も、お酒も、全く関係ない、

 

 

確かに楽な商売ではあるが、

グローバルな考え方では無い、

例えば、フランスの方が、

あの店のあの人は、

 

 

人柄が良いから、

さあ!大阪に行こう!

とは、ならない・・・

それと、氏に習ったのは、

 

 

個の意見である。

誰かが、こうだと言うと、

皆が、そうだと言う、

全く持って、この町も同じ、

 

 

そこに、一切の個人の意見は無い、

いつまで経っても、

一人があの店は、こーで、あーだと言うと、

ハンコを押したように、

 

 

次から次と、荒波のように、

同じ事を言いに来る。

それも、いい歳の大人が、

人の意見は、あくまで人の意見、

 

 

これがネットのレビューや、

評価も同じ、そして、誰もが、

正義の味方になりたがる。

故に悲劇を産む、

 

 

己の道を歩けない、

人生ほど、悲しい物は無い、

と、私は思う、

己の道を歩く為には、

 

 

己の意見が無ければ、

埋もれてしまう、

 

「人を呼ぶ」には、まず志を

立てないといけない、

      堺屋太一

ご冥福をお祈り申し上げます。