この20数年間と言うもの、
色々とあった。
まあ、誰しもがそうなのだが、
その時の流れの中、
多くの別れに涙した。
その思い出が頭の中を駆け回っていた朝だった。
モーニングに着替え、
向かうはハイアットリージェンシー大阪、
嬉しくあり、悲しくもあった。
その悲しみとは、
多くの亡くなった者達に、
是非祝って欲しかった。
ただただそれだけだった。
娘が産まれてすぐに駆けつけてくれた。
親友も亡くした。
毎年夏休みは一緒に、
旅行に行った。
「なにわ突撃隊」
「ガンと闘った芸人」
あれだけお前と遊んでくれた。
竹内ゆうじ君とも永久の別れをした。
そして親愛なる兄貴、
「桑名正博」氏も・・・
それら全てが重なり合って、
胸の中で万感の思いに変わった。
もう一人では抱えきれず、
悲痛な叫びのようになった。
それは重く、熱く、大きなものだった。
娘には言わなかったが、
私が本当に伝えたかった事は、
当たり前の話だが、
私達夫婦だけでお前を育てられたのでは決して無い、
お前が会った人も、会った事の無い人も、
多くの、多くの、
多くの人達の力が一つ、一つ、
ジグゾーパズルのように合わさって、
ようやくこの一枚の写真が生まれたと言う事を、
決して忘れないで欲しい・・・
そして父は多くの誰にも伝えられない悲しみを胸に、
お前の横で微笑んでいるのだ。
私に関わる全ての皆様方に、
心より感謝いたします。
ありがとうございました。