黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

世界一危険なレース 3

歴史は古いが多くの死者を出している。
マン島TTレース」
「多田 健蔵」氏に続け、
この「多田 健蔵」氏なのだが、
表彰式には羽織袴で出席したようだ。
これぞ、日本人ではないか、


この想像を絶する公道レースに挑戦する。
日本人、
高橋国光
1962年、決勝でスタートして間もなく激しく転倒し、
意識不明の重体に陥り一時は生命も危ぶまれた。
1966年には元スズキワークスライダーの
「藤井敏夫」がカワサキ車で個人出場した際、
公式練習中の事故で死亡している。
2006年、
前田淳」が練習走行中に何らかの理由で
スロー走行していたところを後続車に
追突され亡くなっている。


そして昨年2013年、
又、一つの命が「マン島」で消えた。
名を「松下佳成」(松下ヨシナリ


奥様の書かれた報告書を読ませて頂いたが、
丁寧で落ち着いた文章、
それが又胸を突いた。


300km近いスピードで道路標識に激突し、
バイクが四方八方に飛散したようだが、
その前のジャンプでバランスを崩し、
着地に失敗したのか、
詳しい事は解っていないようだ。
予選走行中の事故だった。


「松下佳成」
43歳の挑戦だった。



今から遡る事84年前、
このレースに挑戦した初めての日本人、
「多田健蔵」は42歳、
全くもってスケールの小さな話だが、
私も両氏と同じ年齢で、
大型バイクの免許に挑戦した。


その時にバランス感覚が、
若い時とは全く違っていた事を痛感した。
こんなはずじゃ・・・の連続だった。

それゆえこの挑戦が偉業である事を体で感じる。
泣きじゃくる県会議員や、
中学生とラインする議員ばかり取り上げないで、
こういう方々にもっと光を当てるべきだと、
私は思う、子供や若者に多くの夢と、
勇気を与えてくれるだろう、
いや、私も頑張ろう、
そう思った。

下町に本格的なBARを、
私の挑戦はまだまだ終わらない・・・


松下さん夢と勇気をありがとう!