黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

世界一危険なレース 2

マン島TTレース」
世界一危険なレースと言われる。
民家の前を公道を時速300kmで走り抜ける。
想像を絶するバイクレース、


1956年、そのレースに挑戦したのが、
本田宗一郎」そう「HONDA」のバイクだ。
まだ、当時の日本人は誰もが、
ロードレースって何だ?
と、言う時代、
125CCクラスに4台がエントリー、
結果は、
 6 谷口尚巳
7 鈴木義一
8 田中てい助
11 鈴木淳


6位を筆頭に4人が完走、
上位3名の成績で「チーム賞」を受賞する。
「まるで時計のようなエンジン」と賞賛され、
こんな精密なエンジンを造る国はどこだと、
日本が脚光を浴びる事になる。


HONDAはその2年後の1961年にはマイク・ヘイルウッドの手により、
マン島初優勝を記録した。
又、1963年の50ccクラスではスズキの
伊藤光夫が日本人として初優勝した。


日本のバイク、日本人が活躍しているが、
驚く無かれ、
それよりも以前、
1930年、昭和5年、
一人の侍がこのレースに引き寄せられ、
海を渡っている。


名を「多田健蔵」
もっと驚くのは、
この「多田健蔵」氏、
何とイギリスはベロセット社から
レース出場の打診があり、
これを受けてマン島に赴くことになった。
そのベロセット350ccで出場、
決勝15位完走、
年齢が42歳であったことを高く評価されて
レプリカ賞を獲得した


招待されているのだ。
詳しい資料があまり無いのだが、
この「多田健蔵」氏のドラマ化を熱望する。


そしてこの方どんな方だったか、
私は知っている。
何故なら何と動画が存在する。
0'50頃と1'00頃に駆け抜けていく
1,23秒頃、
ゴーグルを拭きながら、
カメラに向かって笑顔を見せるゼッケン6番、
それが「多田健蔵」その人だ。


まだまだ日本人の挑戦は続く・・・・