私は曲がった鉄砲玉のように自転車に乗って飛び出した。
飛び出したのはいいが、
全く手がかりが無い、
実はここ何週間も、
ネット検索を続けているのだが、
はっきりした事は解らない、
ニッカ余市蒸留所の単式蒸留器(ポットスチル)が、
大阪は港区の市岡にあったとされる。
「北川鉄工所」で造られたと言う、
しかし港区には「北川鉄工所」と言うのは、
現在は存在しない、同じ名前の会社が、
近くにあるのだが、本社が大阪では無く、
規模も大きい、小さな町工場だったと思うので、
どうも違うようだ。
私はあても無く市岡周辺を彷徨った。
と、行っても私の店からは2分ぐらいで行ける場所、
小さい町工場とは言え、
蒸留器を作るにはかなりの広さが必要だ。
しかし、その時の下町の職人達は何と思ったのだろうか、
何だろうか、これは?・・・
だっただろう、多分お金持ちの道楽で、
何かの遊びに使うとでも思ったのだろうか、
港区、市岡と言っても、
南市岡や市岡元町等がある。
そして、
この高校は優秀な学校で、
多くの著名人を輩出している。
中でも「直木賞」はご存知だろうが、
その「直木賞」の名前になった方はあまり知られてない、
「直木三十五」大阪生まれの小説家、
のちに脚本等も手がける。
脚本と言えばNHKの大河ドラマや、
多くのドラマの脚本で有名な「ジェームス三木」氏、
両氏ともこの学校の出身なのだが、
知ってましたか?
いやいや、それはいいのだが、
蒸留器誕生の地を探さねば・・・