黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

大阪ウイスキー物語 7

「一冊の本」

イギリスの地に立った竹鶴青年、
まずは、エディンバラエディンバラ大学に向かうが、
エディンバラ大学理工学部には
適当な専攻科が、無かったため、
続いてグラスゴーへ、

グラスゴー大学では有機化学の講座が、
ロイヤル工科大学(現ストラスクライド大学)では
有機化学無機化学の講座がある事を知る。


そして一冊の本に出会う、
ザ マニュファクチャー オブ ウイスキー アンド プレーン スピリッツ
「The Manufacture of whisky and plain spirit」
J.A.ネトルトン著

1919年1月28日から、
この本の翻訳を始める事になる。
しかし、現場経験のない竹鶴青年、
この翻訳に難航する。

グラスゴーでの生活は、
グラスゴー大学、ロイヤル工科大学で、
授業に出席しながら、
図書室で専門書を一人、
翻訳をする作業から始まる。


そして自分で道を切り開く男、
竹鶴政孝は、この本の著書、
ネルソン教授に直接会いに行く、

しかし、蒸留所の研修には高額な謝礼と、
この教授の個人授業にも、
高額な授業料を要求される。


当時のネルソン教授の地位なら、
正当な額だと言うが、
そこまでの余裕は無かった。


だからと言って引き下がる。
日本のウイスキーの父では無い、
気付いたのだ。自分は今、
ウイスキーの聖地に居る事に、

当たって砕けろ!

蒸留所に、直接直談判、
訪ねた蒸留所は、
スペイサイドの隠れた宝石と誉れ高い、

「ロングモーン蒸留所」

出てきたのは、
オーナー工場長 J・R・グラント


グラントはこう言い放った。


「ええよ〜」

スコットランドにも、
大阪人が・・・
ここにも「摂津酒造」社長、
阿部喜兵衛が居た・・・
なんと良い人なんだ。

この蒸留所の数日間の研修で、
本の解らなかった部分が、
次々と解るようになっと言う、
そして「ロングモーン」とは、
奇しくも「聖人の地」を意味する。


そしてリタさんとの運命の出会いは近づく、
           つづく・・・

「ロングモーン」に乾杯!