「神戸事件」そして「堺事件」
その事に憤慨した二人の男が居た。
名を「朱雀操」(すざくみさお)
そしてその同士「三枝蓊」(さえぐさしげる)
この両名が起こした事件、
その名は「パークス襲撃事件」
パークスは何度も幕末にその名が出てくる。
イギリス公使、
事件は一陣の風のように起こり、
一瞬で終わるのだが、
こういう事件だ。
慶応4年(1868年)2月30日、イギリス公使ハリー・パークスが
明治天皇に謁見するため宿所の知恩院から御所に向う途上、
朱雀は同志三枝蓊と2人でパークス一行に斬り込んだ。
朱雀らはイギリス兵9人に負傷を負わせる。
しかし、護衛にあたっていた薩摩藩出身の中井弘と斬り合いになるが、
この時中井は朱雀の胸部を刺すが、
中井も頭部に傷を負い、形成は不利、
その時、風のように駆けつけ、切り倒した人物がいる。
土佐藩の「後藤象二郎」だ。
その後、朱雀は中井に首を刎ねられる。
元天誅組、三枝も重傷を負ったところを警備兵に捕縛され襲撃は失敗に終わる。
その後斬首、
パークスはこの時「サンキュー」と言い、
宿舎に戻ったと言うが、
そ、それだけか・・・
では無かった。
のちに後藤、中井の両者に、
英国ビクトリア女王から、
宝刀が送られる。
我御先祖が藩、大和郡山藩士はメダルだったのに・・・
この「三枝蓊」
「堺事件」に憤慨し、この襲撃を決行するのだが、
それなら何故フランス公使ロッシュでは無く、
パークスだったのだろうか、
が、驚いたのは、この「三枝蓊」
大和国椎木村(現在の奈良県大和郡山市椎木町)
浄蓮寺に生まれるとある。
またしても大和郡山・・・
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