ここで受付をする。
拝観料は大人400円、
土佐十一烈士の遺品が眠るのだが、
ボランティアの方が案内してくれるのだが、
堺事件の話しが案内の方と噛み合わない、
旗があるのだ。「旗持梅吉」さんの、
三枚あったのだが戦争で二枚焼失したらしい、
「梅吉さんの旗だ」
と、私が言うと、案内の方が、
「猪之吉ですよ」
「いや、梅吉です」
「・・・・」
「旗持梅吉です」
「・・・・」
し、知らないのか・・・
そこからなのだが、
立場が逆転、
私が話し出した。
「この方をご存知ですか」
「はあ・・」
「この方は・・」
「え、そうなんですか」
その後案内のおじさんは、
「え、そうなんですか」
を五回ほど連発した。
私の知らない事を発見したくて行ったのだが、
逆におじさんに教える事になるとは・・
この三方には大量の血痕が付いていた・・・
箕浦、西村両氏が若いのは、
やはり家柄と勉学、
両氏ともエリートだったのだ。
生きていたら新政府でも活躍しただろうに、
実に残念だ。
そして妙国寺の前の道に、
その先に、
妙国寺の目の前なのだが、
宝珠院幼稚園がある。
扉には鍵が掛かっている。
中には沢山の園児たちが、
き、気まずい・・・
周りをウロウロした。
ん〜、どうしよう・・・
派手な車で、妙な格好をした。
間抜け面のおじさん、
完全に怪しい・・・
だいたいこんな格好でお参りすること自体、
不謹慎だが、裃ならもっと変だろう、
「中を見せてくれませんか」
「はい、どうぞ!」
意外と簡単に・・・
中には十一烈士の墓以外に、
フランス人の慰霊碑のある。
しかし、墓が老朽化している。
埃を払おうと思ったが、
崩れそうで、見つめるだけだった。
修復すれば歴史的な価値が変わるだろうし、
かと言ってこのままでは少し不憫だ・・・
語り継がねば、
私はこの事件を通して心から思った事がある。
十一烈士のような事は出来ない、
が、カクテルは作れる。
もっと丁寧に、
そして出来る限りの事にお応えし、
飲みたいと言われるお酒があったら頑張って買おう、
私は私の出来ることを一生懸命、
この日以来、氷の切り方が丁寧だ・・・
妙国寺を後にする時、
大柄な男の人が一人入れ替わりで入って来た。
ふと見ると異国人、
も、もしやフランス人か、
慌てて鳶口を探した。
完全に頭が変になっている・・・
多くの勇気を戴いた。
「土佐十一烈士」
私はこの方達と同じ日本人と言う事を誇りに思う、
心からご冥福を祈ると共に、
心が折れそうな時には又お参りに来よう、
こういう方たちが居たから、
私は今を生きている。
先人に敬意と感謝と祈りを・・・
しかし、この当時日本を変えよう、
日本を守ろうとし、多くの若者が亡くなった。
坂本龍馬然り、先日放送があった。
人気ドラマ「半沢直樹」の最終話は、
そういう日本の歴史を象徴しているように感じた。
私がこの墓所を訪れた時、
幼子達の声が響く中、
昨年亡くなられた「桑名正博」氏が
私の店でよく歌ってくれた歌が、
何故か頭の中でずっと、ずっと流れていた。
「ひとひら」