黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

幕末の倭魂(やまとだましい) 「堺事件」 6

「旗の重み」
色んな本を読んだが、
他にも多くの書物が存在することを知る。
「堺事件」
書きたい事は山ほどあるのだが、
少々長くなってしまったので、
心苦しいが少し先を急ぐ事にした。


様々な事が起こり、
それが絡み合うのだが、
一応この事件に対して、
フランスへの損害賠償、
土佐藩藩主の謝罪、
そして二十名の死罪(切腹)が決まる。
勝手にフランスが入って来て旗を盗んで、
どうしてこうなるのだ。
しかも二十人・・・

その「二十名」で初めの悲劇が土佐藩士を襲う、
全員を集め、発砲した者を問うと、
二十九名、隊長、小頭の四人を除くと、
二十五名、数が多い、
そこでまさかの「くじ引き」・・・


場所は当店の近く、

土佐稲荷神社」

春には桜を見に来て昼間からビールを飲んでいたのに、
ここで、そんな事があったのか・・・
しかし、人の命がくじ引きとは・・・
そして決まった二十名がこの「土佐稲荷神社」で、
名誉であると痛飲(大いに酒を飲む)すると言う森鴎外に対し、
大岡氏の著書では、
痛飲したのは逆に白くじを引いて命が助かった者だったと、
神主の子孫が知り合いに話したとある。
大岡氏はこのような小さな事柄も、
徹底的に装飾を省き、史実を忠実に伝えようとしているのだが、
その姿勢には執念のようなものまで感じる。



そして駕籠が用意され、
堺に向かう藩士達、
これを護衛するのが、
細川家、そして浅野家の両家、


これを「司馬遼太郎」氏は国民に向けての、
政府の粋な計らいで、
暗号だと書いている。
まずは細川家は「赤穂浪士お預かり」で有名、
赤穂浪士を手厚く接待した。
これは日本人にしか解らない、
土佐藩士達を赤穂浪士的なものだと言う意味で、
それをより解りやすくする為の、
浅野家なのだと、
司馬氏の本ではこの計らいで街中の人は喜び、泣き、
拍手を送ったと、


そして両家三百名、
その道中、鳶衆、町人も集まり、
切腹の舞台となる堺は「妙国寺」に着いた時には、

千人もの人が取り巻いたと言う、


梅吉も居たのだろう、
梅吉はどういう気持ちだったのだろうか、
この「妙国寺」の事を司馬氏はあまり良いように書かれていない、
しかし、罪人である事は確かで、その血で汚されては、
寺側もどうしたものかだろう、



そしてその非情にもその時が来た。


処刑場で「箕浦猪之吉」の名が呼ばれ、
悠然と現れる箕浦
次の文を目にした時は、
流石に涙が溢れ出た。


箕浦の左手だ。
その左手にはなんと、
藩旗を握っていたのだ。
あの梅吉が命懸けで守った旗なのだろう、
共に戦ってくれた鳶衆達への敬意なのだと私は思う、
本当にそうなら何と優しい男なのだ。
そして何よりも旗の大事さ重さをフランス兵に
見せつけたかったのだろう、

この名誉の旗を貴様らが盗んだからこんな事になるのだ。
箕浦は言いたかっただろう、

その藩旗を突き立てた瞬間、
その優しい男が鬼神と変わる。
外国人の手記があるのだが、
艦長「プチ・トアール」
「そこで彼が憎悪と復讐の歌を歌い始めた」とある。


その原文が「拙、仏奴、汝仏奴憎むべし・・・」
少し解りにくいので、
森鴎外」の文章で、
「フランス人ども聴け。おれは汝らのためには死なぬ。
皇国のために死ぬる。日本男子の切腹をよく見ておけ」



しかしこれはかなり優しい文章になっている。
原文には他にもあるのだが、
身の毛もよだつ凄まじさだ。


「我今死すとも七たび生をかえて
汝等が肉を食わずして止まんや」とある。

七回生まれ変わり、お前らの肉を・・・
怒髪如く毛は逆立ち、声は響き渡り、
時を裂き、空中の塵も細菌も弾き飛ばし、
時空すら歪むような凄まじい気迫だっただのだろう、



直後箕浦は腹を十文字に裂き、
自ら、己の臓物を掴んで引きずり出し、
天高く持ち上げ、
フランス兵を烈火のごとく睨み付け、
今にも投げつけそうになる。


とっさに介錯人馬渕が進め出て、
御免!
首に一撃、が浅い、斬れない、
箕浦は「馬淵君どうした静かに、静かに!」
と叫ぶ!


刃が光り二太刀目が振り落とされるが、
二太刀目で首は傾き、血が噴出し、辺りに飛び散るが、


まだ落ちない、
箕浦は大声で叫ぶ、
「まだ死なん!斬るべし!斬るべし!」

その声は遥か三丁に届いたと言うが、
首が傾いた時点で、
声帯が損傷していたはずで声が出ないはずなのだが、
その場に居た者達には確かに聞こたのだろう、

「・・・・・」


しかしもう言葉が無い・・・
本当の話なのか・・・
私はこの方と同じ日本人なのか・・・
箕浦猪之吉享年 25歳
それに比べ私は弱虫で、臆病で・・・
この場面だけでも、
豪胆では語りきれない、
藩旗を持ち最後まで名誉を貫く、


二十五歳の若者が・・・
信じられない・・・



この箕浦の激昂はやはり錦の御旗を盗み、
そして藩旗を盗むと言う、
無礼千万な行為にあると思う、
現代でもそうなのだが、
日本に来るなら、日本の仕来りや作法、礼儀、
そして何より言語をある程度学んでから来い、


「神戸」「堺」の両事件、、
諸外国のその配慮の欠如に他ならない、
外国が日本を馬鹿にした結果のフランスの若き兵士も含め、
皆犠牲者だと私は思う・・・


箕浦猪之吉」享年二十五歳



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