黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

幕末の倭魂(やまとだましい) 「堺事件」  2

「朝日に匂う倭魂」


この事件をご存知だろうか、
「土佐十一烈士」
朝廷の命を受け、
慶応4年(明治元年)、堺の町の警護にあたる藩が居た。


坂本龍馬を輩出した。
土佐藩
では、事件の経緯等を出来る限り、
詳しくお伝えしよう、
この時、大阪の警護にあたったのは、薩摩藩
神戸は長門藩、
これは、徳川慶喜の軍が伏見、鳥羽で敗れて、
大阪城をも守ることが出来ず、海路を江戸へ遁れた事で、
大阪、兵庫、堺の諸役人達が逃げ、
町が一時無政府状態になった為である。


その堺を守る任務に就いたのが、
土佐六番隊、隊長「箕浦猪之吉」
彼は儒学者でもあったのだが、
この年の初め、彼を憤慨させる事件が起こる。
それを「神戸事件」と言う、


その「神戸事件」とは、
慶応4年1月11日(1868年2月4日)、
神戸(現・神戸市)三宮神社前において
備前藩(現・岡山県)兵が隊列を横切った。
これは「供割」(ともわり)と言う極めて無礼な行為なのだが、
この時にフランス人水兵らを負傷させたうえ、
居留地(現・旧居留地)予定地を検分中の欧米諸国公使らに、
水平射撃を加えた事件である。備前事件とも呼ばれる。
明治政府初の外交問題となった。


この事件で、大変な事になる。
外国軍が神戸中心部を占拠する。
これはその時視察に来ていたパークスが、
緊急非常事態の旗を揚げた為、大挙として外国軍が押し寄せる。
この時、神戸の町が占拠される非常事態を救った一人の男が居る。
問題を起こした隊の責任者であった
滝善三郎が「皇国の為と」外国人立会いの下、
表情が一糸も乱れぬ、見事な切腹する事で解決するのだが、


この滝善三郎が「鉄砲」と言ったのを、
「発砲」と間違えたと、だが滝が本当に言ったかどうか、
定かでは無いようだ。
死者が出ていないのに、切腹とは罪が重いと、
幕末の四賢侯の一人「伊達宗城」より、
助命嘆願も出ていたが、強行される。
そしてこの滝の切腹が海外に強烈な印象を与える事になる。
しかし何故滝は死ななければいけなかったのか、
そして何故滝なのか・・・


滝の辞世の句が二つあるのだが、
あまり取り上げられない、
もう一つの方が私には印象的だ。
「今ははや森も日陰になりぬけど
朝日に匂う倭魂」(やまとだましい)


この事件の事が堺の「箕浦猪之吉」の耳に入り、
その日のうちに彼は、在京阪の土佐藩兵力を検討している。
と言うような性格の当時まだ25歳の若者なのだが、
この「神戸事件」に連鎖し、
小さいのだが、大変な事件が起こる。


彼を突き動かした一つに、
これがあると思うのだが、
それが「錦旗紛失事件」
これは、この神戸事件の影響を受けて、
1868年(慶応4年)年1月14日に土佐藩士の本山茂任が土佐藩へ運ぶ途中の
「錦の御旗」をフランス兵に奪われるという
前代未聞の錦旗紛失事件が起きている。


当時の時代背景なら、
「錦の御旗」を盗まれるなど、大失態だと言えるだろう、
この事態の終息に、
土佐藩中島信行や、長州藩伊藤博文らが仲介し、
フランス公使に陳情して、ようやく錦旗を取り戻すことが出来、
無事に土佐迅衝隊へこれを届けた。
ここで一つ覚えていて欲しいのは、盗んだのがフランスだと言う事だ。



が、陳情とは何だ?
どういう事なのだ。


「陳情」とはこういう意味なのだが、


目上の人に、実情や心情を述べること。
特に、中央や地方の公的機関、
または政治家などに、実情を訴えて、
善処してくれるよう要請すること。


国力の差の話しなのか、
日本の方が歴史がある。
「錦の御旗」の価値観の差は歴然なのだが、
盗んだのはフランスの方では無いのか、
この事件の方が、
箕浦猪之吉」を大いに憤慨させたのだと、
私は思う、自分の藩、土佐藩の錦旗なのだから、


そして、刻一刻と、
時は進み、事件は起こる。
その事件とは、
「堺事件」または「泉州堺事件」と言う、


↓お手数でなければ押して下さいね!
にほんブログ村 酒ブログ バーへ
にほんブログ村