鳥羽伏見の戦いで、重症を負い、
和歌山を目指す「佐々木只三郎」
通説では、龍馬暗殺の主犯格とされているが、
暗殺の2ヵ月後、絶命・・・
そして、墓が和歌山の紀三井寺に、
しかし、40年程前の、
1973年、
その墓が真っ二つに・・・
墓石が折られ、
上部は草むらから見つかる。
いくら何でもこんな事があっていいのだろうか、
真相は解らないが、
色んな方の記述に、
龍馬ファンの怒りが爆発したと、
しかし、そんな事をしても、
歴史は変わらない、
悲しい事件だ。
多分、龍馬が最も嫌う、
最悪の行為だと思う、
その後、墓は修復され、
そして「竜馬を斬った男」の作家、
「早乙女貢」氏らの手で、
会津藩邸にも墓が出来る。
氏は会津藩の子孫、
しかし、その墓の案内には、
龍馬を斬った男と書かれているが、
1994年、一本の刀が、京都の
霊山歴史館に預けられる。
その刀の持ち主の名は、
「桂早之助」
↓お手数でなければ押して下さいね!
にほんブログ村