メリークリスマス!
なのだが、私は別にキリスト教では無いのだが・・・
しかしこのクリスマス気分で浮かれた世間とは裏腹に、
私達は冷静に、商売に勤しんでいる。
悲しい現実なのだが、
宿命・・・
ジョンの声が遠くに聞こえる中、
それに背を向け、別の事を書こう、
なんか偏屈な爺さんのようだが、
1946年春、
安吾は「堕落論」を書く、
時は流れ、その40年後、
私は古本屋で、その本を手にした。
物の見方、考え方が大きく変わったように思う、
それからの人生も、
目に見える物ではなく、
目に触れない所に、
真実があるのでは、
本当のところは、
真実は、
いつもそう考えるようになったような気がする。
感動する映画等も、
当然だが、スクリーンには映らない、
多くのスタッフ達の汗と涙から、
生み出される。
が、変に頑なに、偏屈になったような気もする。
その「堕落論」で語る「破壊の美学」
それも、日本の敗戦によって無くなったと、
安吾が言う、
「日本は負け、そして武士道は亡びたが、
堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ。
生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、
真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか」
学の無い私には、やっと今頃、この事が、
少しだけ理解できたような、
が、安吾はこうも言っている。
「だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう」
人間の心は強くは無い、愚かなものだと、
堕ち抜く強さが無いと、
しかしこの堕ちると言う言葉、
己を知れと、私は解釈した。
自分は無力で、何の魅力の無いと自覚し、
ならばどうすれば良いかと、
だらか私は、お世辞を言わない、
商売なのだから、
お世辞で構わないのだが、
それを鵜呑みにしたら、
その人が、不幸になる。
イケメンでも無い男に、
イケメンと言えば、
悪い気はしないだろうが、
それを信じて、何の努力もしないで、
好きな女性に、告白すれば撃沈するだろう、
そうならない為にも、色んな本を読み、
趣味を作り、自分を磨き、
魅力を上げると言う、
努力をしなければいけない、
だから、私は逆に堕ちろと言う、
だから、店は暇だ・・・
が、私は安吾のこの言葉を信じている。
「堕ちる道を堕ちきることによって、
自分自身を発見し、
救わなければならない」
と、言いながらも人は同じ事を繰り返すのだろう、
この兄貴の唄のように・・・・
やりきれないけど
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