芸人「竹内ゆうじ」との出会いは、
彼が駆け出しの頃、
確か、23歳ぐらいだった。
それから、亡くなる36歳まで、
いや実に良く遊び、
よく飲んだ。
昨日、24時間TVで、取り上げられ、
改めて、よく頑張ったと涙が出た。
出演されていた奥様にすぐメールを入れた。
お疲れ様でしたと、
次女杏(あん)ちゃんの言葉に号泣しましたと、
杏ちゃんが、
「お父さんは癌には負けてない」と、
少し聞こえにくかったが、
確か、小さな声で、
「ちょっと疲れただけや」
だったと思う、
あれには参った。
映画のワンシーンのような、
言葉だった。
そして、いつも強がっていたゆうじにそっくりだった。
こんな事があった。
一緒に何度かイベントを手伝い、
ゆうじが芝居や、コントをしたが、
前半、お客さんが全く笑わなかった。
すると、私にゆうじがこう言った。
「坂本さん今日のお客さんは、いい人ばっかりやわ〜、
みんな静かに聞いてくれてるわ〜」
と、どこまでも前向きで、ポジティブな男だった。
奥さんから、メールの返信があった。
「お涙ちょうだいになってしまいました(涙)」
この話が持ち上がってから、
何度か、奥様とメールのやりとりがあったが、
その中で、こういう言葉があった。
「私たちには2年5ヶ月と言う、闘病期間、
猶予期間があった」と、
それは幸せな事だったと、それを今回も伝えたかったようだ。
そう、癌とはそう言う病気だ。
私の無二の親友は海難事故で亡くなった。
連絡があり、現場に掛け付けたが、
もう二度と会えなかった。
その点ゆうじとは、死ぬまで、夜中にメールのやり取りをしたり、
亡くなる直前まで、病院に会いに行けた。
そういえば、よくゆうじから来たメールに、
「大きな大きな元気玉を打ちたいので、元気を少し下さい」
この時が今思えば、かなり辛かったのだろう・・・
亡くなる直前、病室で二人っきりになった事がある。
直感的に、私も、ゆうじも、これが最後のような気がした。
何故なら、私は当店の従業員、金髪君と一緒に行ったのだが、
ゆうじが金髪君に、スポーツドリンクを買って来てと、
頼んだ。
それで、二人っきりになった。
私は立ち上がり、窓の外を見た。
神戸の町並みが、絵画のように見えた。
実は、涙が出て来たので、
それをゆうじに見られたくなかった。
「ええな〜、この景色」
「ええやろ〜」
確かこんな会話だった。
番組ではすぐに泣いていたゆうじだったが、
最後まで、涙を見せなかった。
よく頑張ったと、今更ながらそう思う、
あまり書くと、私も悲しくなるので、
又、改めて書こう、
出世払いでいいからと、
よく飲ませたが、こんな形で返して来るとは、
昨日のこのブログのアクセス数は、
5000近くまで上がった。
ありがとうゆうじ・・・
そして、子供達、奥様、
お疲れ様でした。
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