黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

思い出の逸品

お盆を避けて、
16日、店を遅く開ける事にした。
大阪市内だが、土地勘の無い、
不慣れな場所に、車を走らせた。


一本の酒と、グラスを持ち、
案の定、迷いに迷った。
住宅地の中、一軒の古びた民家、
かなり大きな家だった。


7時には着きます。
と、言ったが8時を過ぎていた。
呼び鈴の前に立ったが、
なかなか押せなかった。


暫くするとお父様が出て来られた。
先程まで、表で待たれていたそうだ。
申し訳ない、
家の中に入り、襖を開けると、
祭壇があった。


そこに遺影が、
当店に何年も通われていた常連氏が、
毅然とした顔をで写っていた。
お線香をあげようと前に座ったが、


間が空いてしまった。
理解出来ない方程式の問題を出されたようだった。


この現実を直視したくなくて、
なかなか、お伺いする事を躊躇していた。
軟弱な私がそこに居た。


先月、私の店を最後に消息を絶ち、
数日後、海で発見された。
やはり、信じたくはなかったが、
私の店が、最後だったようだ。


何故、気付かなかったのか、
何故、止めれなかったのか、
何故・・・・


バーテンダーとは何なのか、
私は何も出来ない、
デクノボーで、無能な人間だ。


飲み屋のぐうたら店主、
もうそれで十分だ。


しかし、ある常連氏に、
ここを最後にしたと言う事は、
ここが彼にとっては、一番楽しく、
好きな場所だったのでは無いですか、
と、言われた。


せめてもの救いの言葉だった。
会社の仕事の配置換えでかなり悩んでいたそうだが、
そんな事は、私達には、
愚痴もこぼさなかった。


来て、帰るまで愚痴しか吐かない、
そんな人達が多い中、
BAR通と私も認める紳士だった。


お父様が、声を詰まらせながら、
話された。
靴を履いていたそうだ。


警察の方の話では、
それは、殆ど無いとの事、
それがせめてもの救いだと、
お父様がおっしゃった。
事故かも知れない、
しかし、それでも


「もう帰って来ないんです・・・」
と、ポツリと、
何の言葉も掛けられかなった。


そして、その日のオーダーは私が当店で、
もっとも美味しいと教えた。
数本を全て飲まれていた。
私を認めてくれていたのだろうか、
こんな3流バーテンダーを・・・

中でも、私の一番好きなシングルモルトが最後の一杯だった。
それが、これだ。

「カリラ18年」

カオル イラ=カリラ
カオルとは、奇しくもゲール語で、
海峡を意味する。


そして、これをお供えに持って行った。
このお酒は終売品、
もう、そんなに市場には出回っていない、
あれこれと、探した。
忘れられない、思い出の逸品となった。


そして、もう一本ご用意している。
お供えしてから、当店で、販売しようと、
出さずに置いていた。


どうか皆様、良かったら彼を偲んで、
一緒に飲んであげて下さい、
別に商売では無いが、
他に何も思いつかなかった。


切なく、そして命の儚さを、
改めて思い知った。


もう自信が無い、
私を罵って戴いても結構です。
いや、それの方が、
逆に有難いかもしれない・・・


そして神は私が生きて行く間に、
一体何人、私から私の大事な人を奪うのだ。


それなら、もう私を連れて行ってくれ・・・




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