黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

1,17のその後

先日、阪神大震災の記事を書いた。
色んな方から、多くの☆を戴いた。
まあ、私もあの程度なので、
なんか、申し訳なく思った。
が、その後が大変だった。


ガスが出ない、お風呂に入れない、
しかし、悪い事ばかりでは無い、
ガスは出る所と出ない所があるのだが、
出る所の方が、おかずを作って持って来てくれた。
絆を感じた。
が、家がおかずだらけになった。


お風呂屋さんに行くと、
大賑わい、たまたまやっていた大相撲の中継を、
大勢の方と一緒に見て、大歓声が上がった。
昭和40年代のようだった。
子供と毎日のようにお風呂屋さんに、
お風呂屋さんは、子供にとって、社会のモラルを学ぶには、
最も適した所だと、私は思う、


マンションは古かったので、かなり崩壊した。
出て行ってくれという事になったが、
どこに?なのだ。
しかし、大阪市から、市営住宅の斡旋があった。
ひとまずそこに、なのだが、
五階建ての五階、エレベーターは無く、
風呂も無いが、贅沢は言えない、


引越しが、大変だった。
フラフラになった。
引越しが終わり、
下の階に行くと、
おばあさんが、下から上がって来た。
一匹の老犬を連れて、


「こんにちわ!」と声を掛けた。
じっと私を見ていた。
「あの〜引っ越して来た」
と、言った途端におばあさんが抱きついて来た。
その力の強さに驚いた。
そして、おいおいと泣き出した。
この団地は高齢者の方が殆どで、
若い人は、あまり居なかった。


おばあさんは大きな声で
「若い人が、若い人が来てくれた」
と、叫んだ。
どうも、あの日、あまり身寄りも無く、
誰も来てくれず。
老犬を抱いて震えていたらしい、
「ありがたい、ありがたい」
と、何度も言われた。
おばあさんは、その手をいつまでも離さなかった。


そうだ高齢者の方達は、私達以上に恐かったんだ。
そう思うと、私も涙が出そうになった。
そして、反省した。私は自分達の事ばかり考えていた。
そうだ。お年寄りや体の不自由な方を守らなければ、
これが、私が震災で学んだ。最大の教訓だった。


それから、おばあさんは、いつも紙にくるんだ。
お菓子を娘に持ってきてくれた。
暫らくそこに住んだが、二人目が生まれ、
引っ越す事に、と、言っても目と鼻の先なのだが、
あばあさんが泣きそうな顔で引越しを見ていた。


「おばあちゃん、僕はすぐそこに居るから、
すぐ来ますから、大丈夫ですよ」
と、言うと、手を合わせ
「たのんます。たのんます」と、
拝まれた。私は神でも、仏でも無いのだが、
それから何度か様子を見に行った。


行くと拝まれる。
終いにはお経まで・・・「ナンマイダ〜」と・・・
しかしこのおばあさん、私が夜は居ない事を、
知らなかった・・・・
そして、今の家に又、引越し、今度は遠くなった。



犬の名前が白なので、
白のおばあさん、
久しくお会いしていない、
どうされているのか、
と、去年の震災の時に気になった。
一度、行ってみようかな・・・・