黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

16年、、、

16年前の今日、1月17日、午前5時46分52秒
あなたは寝てましたか?
私は起きていました。
私は北新地のBARの勤めを終え、
帰宅、その時夜空の星が、いつもより、光り輝き
数も多かった、暫くその夜空を見上げていた事をしっかりと
覚えている。


午前3時頃だった。自宅で食事を食べ、風呂に入り、
その日レンタルビデオ店で借りて来た。
「ケビンベーコン」の「アフリカンダンク」という
映画を観た。全て観終わり、床に付いたのが、
確か5時半頃だった。


暫くして、第一波が来た。
ドンと突き上げられるような衝撃、
「な、なんだ?」と起き上がろうとした時、
強烈な揺れが来た。
布団の中で、体がずれた。
慌てて、長女の上に被さったが、何も出来ない、
外壁のコンクリートが、大量に音を立てて崩れ落ちた。
物凄い轟音の中、頭の所の木の柱が、ねじれ出した。
そして、音を立て折れた。その時駄目かと思った。
揺れが長い、が、少し収まった瞬間、
布団から飛び出し、玄関に向かった。


用心深い性格ゆえに、
地震の予備知識は色々と知っていた。
扉がずれて、閉じ込められるのだ、
案の定、ドアが開かない、ノブを回しながら、
おもいっきり体当たりした。
なんとか外に出れた。
それを未だに私の妻は、一人で逃げようとしたと言っている。
知識の溝は時に、誤解を生むものだ。
しかも私は、二週間ほど前に、TVで地震の番組を観ていたので、
地震バックを用意し、中に懐中電灯と、ガムテープ、軍手等を入れていた。


それを入れている時、妻はせせら笑っていた。
性格の溝は時に、誤解を生むものだ。
しかし実際役には立たなかった。
まずメガネが探せなかった。
メガネが無ければ、何も出来ない。
その日から、メガネ入れを用意した。


外に出た。二軒隣のおばちゃんの家の
扉が開かないようだ。中から「助けて!」と
悲鳴のような声が聞こえた。
慌てて、外から引っ張った。
おあばちゃんが飛び出して来たが、
完全にパニックを起こしている。


しかし、余震が来るはずだ。
私は2階の一番外側の部屋、
外壁が心配だ。見に行くと、私の部屋の部分の
外壁が、すっかり無くなっていた。
自転車が何台も、瓦礫の下敷きになっていた。
すぐそこの地面が割れ、ガスが噴出していた。


近所の人が起きて来て、集まり出した。
私は非難しなければと思っていたが、
皆、割と冷静だった。
仕方なく、部屋に戻った。
隣の部屋から、家族全員のいびきが、轟音となり、
夜明け前の街に響き渡っていた。
人それぞれなのだ。


だいぶ経ってから、鶴町の一部の地域、
私の居た所は、強震地区と訂正された。
マンションは取り壊され、家を失い、
被災者となったが、お亡くなりになられた方々に、
心からお祈り申し上げます。